目の前にある社会
妊婦になったころに、「マタニティマークをつけていると電車やバスで煙たがられる・・・」というような、声をネットで見たけど、実際はそんなことは全然なく、
席を譲ってもらえたり、お腹が大きくなってきたら、話しかけてくれた人が妊婦だったころの話なんかをしてくれた(たいてい、おばちゃん)
子どもを育てるようになって、「ベビーカーうざい・・」とか、「電車やバスで赤ちゃんが泣きやまないと冷ややかな目で見られる」というような声もネットで見るけど、
そんなことを、感じたことがない。
ウチには車がないから、生まれてからずっと、電車・バス移動。
バスに乗るときはベビーカーを固定してもらう。
ベビーカー固定してもらう時、しばらくの間停車するけど、周りからネガティブな感情を受け取ったことはない。娘がぐずったりすると声をかけて、あやしてくれる。
いつものミスタードーナツで、ぐずりだした娘を抱きながら、「そろそろ帰ろうかな」と思ってコーヒーを飲んでいたら、隣に座っていたおばあゃん2人が「抱っこしてあげようか」って言ってくれた。お手洗いに行きたかったから、その間みてもらうお願いしたら、快くOK!と言ってくれた。
インターネットの中に渦巻く、様々な状況の人への心ない言葉の数々は、そのまま全ての人の思考で、そして、社会全体を現しているかのように錯覚してしまう。
でも、それって私の目の前に見えている社会ではない。
今の社会全体は、不寛容で、殺伐としている。
昔は、人々が暖かくて、余裕があって、思いやりがあった。
見慣れた表現でもって社会を見ると、そのように見えるものなのかもしれない。
自分の目の前にある風景を信じたら、みんなが思っている社会の姿は変わるのではないかと思う。
堂々と助けを求める
今朝、起きたら膝が痛い!
病院に行きたい・・。
でも、診療中、じっとしていられない娘を見ている人が必要。
⚪︎⚪︎さんは仕事だなぁ・・
⚪︎⚪︎さんも、子どもがいるから難しいよな〜
⚪︎⚪︎さんに遠くから来てもらうの申し訳ないな〜
当日の朝にお願いなんて申し訳ないな〜
森ママ(義母)は仕事かなぁ・・
夫に早めに帰ってきてもらって夕方行くかな〜。でも、仕事を早く切り上げれば、その分どこかで時間を取らないといけなくなるから、できれば外部リソースの力を投入したい。
色々、考えをめぐらせ、何かあったらお願いできる人リストの人たちに連絡できず、
結局フェイスブックで募集した。(お願いしてしまうと、相手も申し訳ないーって感じになるから、できる人に手を挙げてもらう、フェイスブック募集がいい)
すると、すぐに、私できるよ!って言ってくれる人が現れ、病院に行くことができた。
「こんなことをお願いしたら申し訳ない」って思っているうちに、自分のためのことが置き去りになっていくのだと思う。
こんなところに困ることがあるんだと、子どもを産んでわかった。
ちょっと病院にいくなんてことに「困る」なんてことはない、行きたいと思えば、行けたのが子どもがいなかった頃。
でも、今は、病院に行きたいと思ったら、その瞬間に色々なことを段取りしないと行くことができない。
そこに人の助けが必要。
私の周りの人たち、今まで気づいてあげられなくてごめんなさい・・・って思う。
私みたいにフェイスブックで助けてなんて募集している人、見たことないし、みんなきっとやりくりしてやってるんだろうなぁ。甘えすぎなんじゃないか?という思いもよぎるけど、自分が「困っている」ということが事実なんだと思う。
「こんなことを頼んだら申し訳ない、甘えてるんじゃないか、もっとやれるんじゃないか」って思うことそのものが、育児を自分一人で抱える、孤立の始まりではないかと思う。
だから、困ったら、助けてっていうことをどんどん言った方がいいんだろうなと思う。どんどん言っていけば、これから先も、助けを求めることも、助けることも当たり前にできるのではないかと思う。
人に会うのが面倒くさい
子どもを産んで育てて、7ヶ月経過して、7ヶ月は毎日が日曜日みたいな感じ。
さとさんの午前睡の時間が終わると、だいたい10時から11時。
どっか、外に出ようと思う。もしも出なかったら、このまま忙しく夕方のご飯の準備して、1日が終わってくんだろうなぁと思う。
さて、どこに行こう・・と思った時に、
そこに行って、「何ヶ月ですか?」って声かけられて、「頭がふさふさですね」って言われて・・・って会話があるんだろうなぁ・・・なんてことを想像すると、「面倒くさい・・」と思って、児童館や子育て支援センターは「却下」となる。
児童館や子育て支援関連のお仕事をしてる人ごめんなさいー!
場の価値そのものを否定しているワケではありませんので・・。
母になる以前からの自分は、どういう人間であったかってことだと思うんだけど、もともと、私は、一人で行動するのが好きで、表面上の会話が苦手な人なんだった。だから、知らない人に会って、誰にでも共通の話題となるような会話を続けることは疲れることなんだった。
改めて、私は一人が好きで、会話が苦手な人だったんだと、長いお休みを機にわかった。そんな会話をするなら、本を読んで、本の中の人と対話してたいと、思ってしまう・・。笑
だから、最近、知らない人に会うのが面倒くさい病・・。
んーどこに行こうって思って、あ、あれを買いに行こうとか適当に目的を見つけ、買いにいく、ご飯を食べる・・という過ごし方をするけど、消費することでは心は満たされないんだなぁと思う。こうやって行き場のない人たちがイオンに集まってるのかもね。
だから、
市民活動支援センターに行って、まこちゃんに会うとか、
地域資源長屋なかむらに行って、起業支援ネットの皆さんや、さとちゃんのばーばとなってくださる皆さまにさとさんを抱っこしてもらうとか、
カレーのさいさいに行って、店長と話すとか、
図書館に行って、司書さんとおしゃべりするとか、
大門の実家に行って、森ママ・お義父さんに会うとか、
自分のソーシャルキャピタルである場所に行って、そこにいる人に会って・・基本行動は一人という過ごし方をしている。そういえば、子どもを産む前もこうやっていつも過ごしていた・・自分の過ごし方ってのは変わらない。
どんな思いを抱いているか、どんなことを学んだか、興味があるか、違和感を持っているか・・ということを話せる場所や人。日々の暮らしや人生で、人に出会って、支援をしようなんて思わないけど、互いに支援されているような場や人が、私にとっての子育て支援の場なんだと思う。
赤ちゃんを育てるのに、24時間稼働はしていても(あ、最近は24時間も稼働してないか・・)、どこかに雇われているわけでもなく、1日はどう過ごそうか自由で、忙しいのに時間がたくさんある・・。
仕事をしていたら、仕事で出会う人々のコミュニティの中で日々は続き、毎日行く場所があり、毎日やることがある。なんて素晴らしいことなんだーもうお休みは終わっていい!と思っていたけど、今だから出会える人たちもいるから、それを大切にできたらいいな。
身の丈に徹するからこそ見える世界観
起業支援ネットさんに、にんげん図書館のことを相談に行きました。
これからどうするか?と、どっちに行こうか?と考えるときに必ず相談に行く。
昨年卒業した起業の学校の卒業証書には、
「身の丈に徹するからこそ見える世界観を丁寧に育み、本と人をつなぐ事業を通して、小さなところに宿る『にんげん』の根源的な美しさを世に問い続けることを強く期待し、ここに第11回起業の学校後期課程全課程を修了したことを証します。」と書いてある。生徒、一人ずつに、その人を表現するような言葉を書いてくださる。
修了証書に書いてあるくらいなんだから、私にとって、「身の丈」であるということはとても大切なことなんだなーと思う。自分がやれない、やりたくない身の丈ではないことを掲げても、後から辛くなるし、きっとやりたくなくなる。
「身の丈」って挑戦せずに、無理せず、頑張らずにやる・・・みたいな印象もあるけど、それとも違う。
自分のやりたいことや、自分のやれなさや、自分の弱さから逃げないのが身の丈。
何かをやり続けるということは面倒なこと、やりたくないけど、自分の中でちょっと頑張ることの連続なのだと思う。やりたいけど、やりたくない、面倒くさい、怖いっていう気持ちもいつも同時にある。
起業支援ネットさんに行って、久野さんや鈴木さんの前では、嘘はつけないと思うし、身の丈以上、虚勢を張るようなことは言えないと思う。
やりたいけど、面倒くさい、やりたくないっていう気持ちから逃げないために、面談しに行って、自分の中でちょっと頑張る、腹をくくるために、相談に行く。
そして、相談に行くと自分の目の前に既に存在していた階段が見えてくるんだな〜と、相談の帰り道で思いました。
さと7ヶ月の成長記録
さと7ヶ月になりました。
ここ一ヶ月はまたたくさんのことができるようになったなぁと思う。関わろうとしたり、意思を伝えようとしたり、人間らしい成長目覚しいです。ニコニコと笑いかけてくれることで癒されております・・。
私の方は、先月のがイライラすること多かったなーと思う。
今月はソロ活動も多かったからか?モリソンに思っていること言ったからかな?
(6ヶ月〜7ヶ月の変化)
⚪︎身体の発達
・腹ばい姿勢で、向きを変えられる。
・オムツを替えたり、服を着替えさせるのが動き回るから一苦労。
ロンパースからセパレートへ。
ロンパースはいつまでなんだ?と思っていたけど、暴れるからロンパースだと着せにくくなるんですね。
・ぐずる時に、乳児椅子に座らせると機嫌よくなる。
完全に座るのはまだできない。
⚪︎離乳食
・離乳食のスプーンは真剣白刃取りのように捕まえるものと思っていて、全く食べなかったけど、昨日初めて、お芋の潰したのを自ら食べた。
⚪︎遊び
・お父さんやお母さんに遊んで遊んでーと絡んでいく。
・いないいないばぁで笑う。
・袋や箱の中を漁るのが好き。
おもちゃを全部出さずにカゴに入れた方が、漁るのが楽しくていいみたい。
・コードのようなものを引張る、めくれるものはめくるという風に、「これはどうなってるのかな〜」と探索活動が盛ん。
⚪︎コミュニケーション・認知
・何かを伝えようと表現する。
ウンチが出た時、お腹が空いた時に、「あーあーあーあー」とうなるような声を出して、手足をバタバタして伝えようとする。
・私がミルクを作っているのがわかる。
「早くちょうだい!」と手足バタバタ暴れる。
・ベビーカーに乗せられる、縛り付けられる!というのがわかって、乗せる時に嫌がる。
⚪︎生活リズム
・夜、寝るのはとても上手になり、夜8時くらいにお父さんにおやすみなさいを言い、ベッドに連れて暗くすれば、おやすみスイッチが入る。おでこをナデナデで眠りを誘い→手を握るのと、足を太ももに挟んでいると、すぐに寝る。
この世で寝ることに慣れたのね〜
⚪︎父と母の役割分担・人見知りっぽいことが始まる。
・お父さんがミルクをあげるとあんまり飲まないことがある。
・人に抱っこされて、私の方を見つけると、お母さんがいいー!と抱っこをせがむことがある。抱っこしてーと身振りで伝えられるんですね。
・私がトイレから出てきたり、私が一人活動から帰ってきて、さとさんの前に姿を現わすと「お母さんだ!」と腹ばい姿勢で手足バタバタして喜びを表現する。
・知らない人に抱かれるとたまに半べそになる。
・お父さんを見ると、好きな人と目があった!って感じでキャッ❤️っていう顔をする。笑
今月もいっぱいありました。長文失礼しました〜。
写真:机を舐めるのが好き
2016年
2016年の前半は妊婦で、子どもが生まれた後、どんな生活になるのーって不安なような楽しみなような気持ちでいたけど、生まれてしまえば、未知の世界への壁を、あっという間に飛び越えてしまい、怒涛のように日々が過ぎていった。
6月5日から、お母さんになったわけだけど、「生物」としての母には違和感がない。子育ては、これまでやったどんな仕事よりもハードで、学びも多くて、楽しいこと。
でも、「社会的」な母という存在には、もやもやしたり、違和感を感じることも多い。周りの母たちは違和感なくすんなり受け入れているように見えてしまうけど、私だけ?!こんなこと思うのは。でも、違和感も感じながら、子育てをするからこその出会いや、社会との関わり方もあり、見えてなかった風景が見えることは楽しい。
そうした心の揺れも含めての人生は冒険なんだなーと思う。
あー来年の今頃どんな風景を見ているんだろう・・。
子育てと働くことの両立が始まりますよ。来年もまた、冒険だ・・。
働く時に使う脳が休眠状態。
この一年、長い目で捉えることと、どうにもならないことや変化を楽しむということが大切だと、色々な時に思って自分に言っていた。
そんな風に来年も過したいなと思う。
里帰らない出産(産後編)
6月5日に出産して、1週間の入院後、家で新生児と暮らす生活が始まりました。
産褥ヘルプ体制は・・
・1週間くらい母が家に泊まる
・週に2〜3回夫実家がご飯を持ってきてくれる。
・産褥ヘルパーさんに週に2回きてもらう。
・友人・知人の産褥ヘルプ部隊の皆さんにきてもらう。
という感じ。
産後って、妻の産後のことを普通言うけど、私以外の家族も、それぞれに産後があったなぁと思う。自分の産後は、予想していたよりも心身ともに元気だったんだけど、周りがワタワタしているのに対して、ストレスを感じていたような・・・。
ただでさえ、自分が動けないし、赤ちゃんのお世話に不慣れな状況がストレス要因にあるので、自分が落ち着く環境をつくることがとても大切と思った。
⚫︎実母の産後
母は、今思えば、初孫が生まれた!娘のために頑張らなくては!とハイになっていたのか、力みすぎて空回りしたり、沈みやすかったりしたなぁと思う。
家で、台所仕事をやってもらうけど、母からしたら、家事を担当している夫モリソンは〝きっちりしている人〟見えていて、ざっくりした自分のやり方はダメなんじゃないか・・ということばかりを気にしすぎていて、いちいちこれはどうするの?こんなんじゃこんな風に言われるんじゃないか等々のことを言ったり、何にも役に立てていないと沈んだりということに対応するのに疲れていた・・。生活週間の違う人間が一緒に住むという環境の変化も大変なものだなぁと思った。
母はうちに泊まらずに日中だけきてもらうというのが一番ほどよいということがわかった。そのように距離を取っていくうちに母の力みも取れていったように思う。
⚫︎夫の産後
夫モリソンもまた、産後の環境変化で、キリキリしていたなぁと思う。
今は、毎日のスケジュールがだいたい決まっていて、2人のフォーメーションも決まっているから、動きやすく日常が進んでいく。
ああ、こういう変化に弱い人だった・・だから、里帰りしないほうがいいんじゃないか・・と薄々思っていた。結婚する前に一緒に暮らし始めた頃にも二人の1日の動きが決まるまで、モリソンがストレスを感じているのを見て、私がストレスを感じていた。
最初の頃は赤ちゃんがいる暮らしのフォーメーションが決まってないから、模索しながらいいやり方を考える。こうやって動くという見通しが立たないということがストレスになるみたい。
あと、家事も育児も仕事もちゃんとやりたい!という気持ちが夫のが強かったため、負荷が高くなっていたと思う。「ほどほどにしといて〜」とか「私がやるよ」と言っても、自分がやらないと気が済まないけど、やれないということがもどかしかったらしく、「やりたいのにやれないー!」と、爆発したこともあった。
どんな形がいいのかを、模索しながらちょうどよいところに落ち着いていった。
⚫︎私の産後
思ったよりも体も心も落ち着いている、元気と思っていた。
産後の身体のタメージは、フィジカルな面は、順調に回復して、退院できた。
逆に元気すぎて、産褥期の1ヶ月が軟禁状態に思えて、ストレスを解消しつつどうやって過ごすかということに気をつけていた。
産後の身体
・骨盤グラグラ しばらくは歩くとふわふわする感じでベルトしめていた。
・腱鞘炎
・貧血・低血糖:夕方くらいに動けなくなったこともあった。
・尿漏れ
・疲れやすい:産後4ヶ月くらいまで毎日昼寝しないとやってられなかった。
でも、時期に応じて産後の心身の変化も変わって、泣いたり、怒ったりすることも多かったからまた今度。