同じ言葉が通じる人の中でつるまない。

この前、保育園の父母の会のメンバー3人で忘年会をして、とっても楽しかった。

たまたま子どもを持ったタイミング、たまたまこの保育園に入ったタイミングで出会った人たちで、みんな年齢も働き方、仕事も違う。

あーこんな出会いも保育園にはあるんだなぁ。

 

私はずっとNPOの周りで働いてきたから、コミュニティがどうのとか、場づくりとか、組織や事業のマネジメントがどうのとか、そうした発想、視点で物事を見る。

 

だから、父母の会という小さな組織も同じように捉える。

理念に沿った取り組み、集まる人々の力を引き出す、新しい出会いが生まれる組織にしていけるといいと思ってる。

そんなノリで話していると、「茜さんはすごいこと考えてるね〜」とか言われちゃう。笑。

 仕事でおんなじことを話しても、すごいとか言われたり、浮いてしまうようなこともない。仕事で関わる人たちも多様に様に見えて、広い社会の中では特定の人たち。

言葉が通じる人たちの中に自分はいるんだと、メタ的に気づくという機会は大事であるなぁと思う。

 

コミュニティとか場づくりとか、ファシリテーションとか、ソーシャルとか、そうした言葉が出てこない場こそ、公共で自治があるんだと思う。

ここに集う人々が緩やかにつながる、自分のためだけでなく、利他の視点を持って、ちょっと声を掛け合う仲になり、助け合う存在になっていく。

公共であるからみんなが同じ方向を向くわけでもないし(おんなじ方向向いたら気持ち悪いけど)、だからたまに面倒臭いこともあるし、物事は簡単には進まない。

難しいことを難しいままにしないで、難しいことをやさしく。

これも実験の機会として関われたいいなぁと思う。