こどもにやさしい街って

この前遊びに来てくれた、こどもNPOというNPOで、子育て支援や子どもの地域教育に携わる本岡さんは衝撃を受けたと書いてくれた。

 

確かに中村区は名古屋でも下町。

うちの近所は歩いていて、いろいろな人に寛容だなぁと思う。

いろいろというのは、福祉施設も多いから障がいの人もたくさん見る。

経済的に豊かではない人もたくさんいる。空き缶をたくさん自転車に積んで走っているおじちゃんもよく見る。自由すぎる子どもに対して苛立ちや、親がちゃんとしなくてはならないという目を向けられたことはない。

 

スーパーで我が子が寝転がってイヤイヤしていたり、泣き叫んでいたり、混み合っているのに自分で袋に入れたいとか、レジでやってもらいたい・・と主張しても、並んでるおじちゃんもおばちゃんもレジの人もニコニコしている。泣いていたら、飴ちゃんあげようかと言うおばちゃんもいる(いや、まだ飴玉は食べられないのともらったら食べる!となるからご遠慮したけど・・)

むしろ孫みたいなかわいい子を眺められてよかったわーって感じで、子どもはおじちゃん・おばちゃんたちが元気になるという社会貢献してるんだなぁとか思っていた。

 

それが当たり前すぎてしまい、外の人から見ると衝撃を受けるほどなのか!ということには気づかない。逆に子育てに不寛容だと感じていても、それが当たり前になると、そういうものだと思ってしまうのかもしれない。

 

そういう地域に出会うとそんな地域こそ素敵な地域だとみんなは思うかもしれないけどそうなのかなぁと思った。「地域のつながりこそ大事、つながりがある昔ながらの地域は素敵だね〜」とみんなは言う。

でも、それに対して、「地域のつながり」は地域の保守性、呪縛となってある人にとっては居心地の悪さにもなる。子どもにやさしいおばちゃんたちも働く母に対しては不寛容かもしれない。子どもが1歳になる前、10ヶ月の頃に保育園に入所働き始めた時、子どものことを暖かく見ていたおばちゃんたちは、心の底では母である人が働くということをよく思ってないんだろうなぁ・・と他愛もないよくある会話から感じた。それを「不寛容」と受け止める人もいると思う。

 

街全体にいろいろな人がいるという多様性、いてもいいという寛容さがあるから、その人自身が孤立感や閉塞感を感じていないということではないと思う。子どもを抱っこしていたらにっこり笑ってもらえるか、疎まれるか、にっこり笑ってもらえた方がいい。でも、そんな子どもにやさしい街に住んでいても、途方に暮れている人はいるかもしれない。

 

いろいろな子どもや親子、家族をふんわりと受け止めることと、多彩なソーシャルキャピタルを「わたし」の周りにつくること。その中で、「わたし」が自らを助け、誰かを助けて生きていける(助けるというのは具体的な行為だけでなく、関係性も含む)ようにするのが子育て支援なんじゃないかなぁと思う。(子育て支援だけでなく、様々な人への支援や地域づくりや街づくりも)サービスや施設があればそれで大丈夫ではなく、人々の寛容さ、文化が一番の支援で、それを育てるのが一番難しいんだなと思う。