神って思うのは思考停止

 特にSNSでのことなんだけど、誰々さんがシェアしてるからこの記事をシェアするとか、誰々さんがいいと言ってるからこの記事はいい記事・・みたいに、誰々さんがフィルターとなり、誰々さんのお墨付きの情報として提供される時、それを見る人は、客観的にその情報を見ることができているんだろうかと思う。

 図書館とか、精神福祉とか、女性活躍とか、教育、それぞれの領域・この地域の中で有名人、リードしているオピニオンリーダーみたいな人がいる。

 その人の発言なら素晴らしいのだろう・・と人は無自覚に思い、そこで言われていることは真実なのかと疑うことはしない、そのまま鵜呑みにしているなんてことはよくあることではないかと思ってる。

 その人が、「自分の頭で考えろ、絶対正しいことなんてない」なんて言っている人なのに、情報を受け取る側は、自分の頭で考えることもなく、ただ情報を消費しているという矛盾した在り方に気づいてない。

 SNSの中でたくさんシェアされるとか、「いいね」がたくさんつく。評価されたい、承認されたい、上に立ちたいという人の気持ちと、その人の周りにいる「自分」、そのコミュニティに属している「自分」でありたいという相互の承認欲求が、その人を「神」にしているようにも思う。

 先日吉本隆明さんについて書かれた本で、オウム真理教を擁護するような発言をしていた時があったという記述を読んで、「あの吉本隆明さんがそんなことしていたんだ」と無意識に思っていたことがあり、こちらが勝手に「吉本隆明」ならそんなことはしないと、思っていたということだなぁと気づいた。

 人や組織を憧れの対象、ファン、神としてみてしまった時に見えなくなることがある。その人も変わりゆく人間、多面的な存在。

 だから、私は誰のファンにもならない、神とも思わない。

 批判的に捉えない人、自分たち最高って思っている人で構成されるコミュニティも気持ち悪い。ちょっと距離感をとって自分の中に取り込むような関わり方でいたいなぁと思う。

 でも、こういうブログを書いてる時点で承認されたいってことなんじゃね?と思ったりするが・・。