にんげん図書館の振り返り

1月12日は、にんげん図書館の1年の活動の報告と集まった方がやりたいことを話す会。
図書館と市民活動・まちづくりをつなげる取り組みを、図書館×地域ラボという看板で行うことを、寄付・助成金等をいただいてやってみようということで、1年間(2018年10月からの1年間)取り組んだ。今回は、助成金と業務委託と寄付を組み合わせて実施ができた。ご寄付いただいた皆さんありがとうございました!
にんげん図書館を始めた経緯・・・遡ると子どもの頃

遡るとわたしは小学生の時に図書館司書、特に学校司書になりたいな・・という夢を持っていた。学校ではお友達がすぐにできたり、友達と楽しく話したり、関わったりできるタイプではなかった。教室にいることが苦しい時、誰もいない図書室に行って、薄暗いところで一人で本を読む時間にとても癒された。近所に児童書専門店があったのもあり、子どもと本をつなぐ人の存在が身近にあった。本の世界へと誘ってくれる人がいたらいいな、自分がそういう人になりたいなと思った。 

そして、児童図書館員になるなら大学では保育を専攻しようと思って、保育系の大学に進学した。子どもの文化を担っていくいく人になりたいなと考えるようになった。子どもの文化のことを考えていたら、「文化・物語・ファンタジーの世界が、辛い時に乗り越える力となる」という言葉に出会い、自分も本の世界に助けられたように、言葉を持つこと、文化は子どもだけでなく人を助けることでもあるのかと思い、そこに貢献する図書館司書になりたい、図書館司書しか描けない・・・・!!!と強く強く思っていたのが後に自分を苦しめた。

ところが図書館司書にはなれなかった、挫折。

大学生の頃、図書館司書、専門職として自治体の図書館の正規職員として働いていきたいと思って、職業図書館員が集まる学習会に入っていた。この時に出会った図書館司書さんたちは今も一緒ににんげん図書館で企画をする仲間であったりする。

しかし、倍率は100倍という難関。何年もかけて図書館の正規を目指す人も多い。今でこそ問題になっている官製ワーキングプアも、わたしが大学生だった2000年代、図書館は非正規雇用中心の世界になりつつあった。保育士や幼稚園の先生というゴールを目指す人しかいない大学。次第に孤立感を感じるようになり、だんだん授業に出るだけで息が苦しくなるよういなって、そして学校に行けなくなってしまったのが大学4年生の春。しばらく授業を休むことにして、休んでいる時に行ったのはいつも図書館だった。

突然息が苦しくなったり、涙が出るのに図書館で詩を書き写していると楽になる!!!という自己治癒方法を発見し、そしてまた図書館が苦しい人には必要であることを実感する。普通なら精神科に行こうというようなことなんだけど、図書館で元気になってしまった。その後、夏の夏期講習で図書館司書資格を取る。その後、大学に行けるようになり、図書館司書になります!と言い、大学は就職先がないまま卒業した。しかし、卒業後、途方もないことを追いかけ続けるだけが方法なんだろうか・・?と、図書館司書になるための公務員試験をやめてしまう。まずは本のあるところで働いてみよう!と思って、本屋さんのフリーターになる。

本屋の世界での楽しさと不安

本屋さんの世界もとても楽しかった。当時はサービスカウンターという「本を探し、売り場にない本を発注する」客注専門のカウンターがあった。そこでお客さんのために本を探すレファレンスのようなことをするのがわたしの役割で、「やったーーー!」と思った。わたしは図書館司書のようなマインドを持っていたため、うちの本屋にはないけど、この本はジュンク堂さんならあるかも・・とこっそり言ってみたり、これは図書館で探したほうがいいとか、本の検索の方法をカウンターで教えたり・・。棚になかったらそれで終わりと諦めるのが普通で、そこまでやらなくていいよ!ということもやっていた。

ぼんやりしたニーズからお客さんが欲しい本を特定していく仕事を楽しくやっていた。

しかし、本屋さんの世界も非正規雇用に支えられる世界。時給900円のフリーターは、社員と同じように本、売り場を熟知していた。なんなら社員より売り場、棚をさわってるからどこに何があるか頭に入っている。60人の昼・夜アルバイトに対して社員は10人。その社員さんはいつも疲れているように見える。このままわたしはどんな未来を描いていくんだろうとぼんやりとした不安があった。

ニューヨーク公共図書館との出会い

そんな時、ニューヨーク公共図書館を描いた岩波新書の「未来をつくる図書館」にであった。

図書館は、あらゆる人々のための情報をコーディネートしていく場所。主権者である市民、市民による民主主義、それを支えるために、市民や行政を支援していく図書館としての機能。この図書館はNPOという方法で運営されている・・。当時NPO社会起業家が出てきた時で新しい潮流となっていた。図書館や本の世界から一度離れてみようかなと思い始めた。NPO法人で働いてみると、自分が図書館と関わる上でいつか、何かできるのではないか??と思って、働けるNPO法人を探し始めた。

 

NPO法人で働く

求人を出しているようなNPO法人は同時(2005年ごろ)はあまりなかった。そして、大学を卒業してフリーターしかしたことがない、社会人経験がない、第二新卒である・・そして頭の中は図書館のことしかない・・こんなわたしが就職活動して、厳しそうな企業で働ける気がしないと思っていた。NPOは優しくしてくれそうというよく若者が抱く勘違いを抱いており、甘い考えもあった。社会に優しそうに見えても、自分に優しいわけではない。笑

そこでたまたまであったのがNPO法人アスクネットで、うちで働いてみない??と誘われ働いてみた。

地域と学校をつなぐコーディネーターとして働く。

行政や企業とも仕事をする大きなNPOで、ここで多種多様な人とプロジェクトを行うことを実践しながら学んだ。企業、市民活動、NPO、行政など、多様な主体が参画して子どもの学びをつくる。つくることを通して、教育のあり方を分かち合う、それが変えていくことになる・・・。

図書館のあり方の伝わらなさ

図書館の世界で言われていること、図書館の機能や役割はちっとも市民には届いていないことを、市民の側にいて感じていた。

図書館=文学、本というイメージを多くの市民は持っていると思う。本を買うのか、借りるのか、お金が発生するかしないかでしか見ないとただ本を借りられる箱モノ。売れない本も絶版になった本も昔の資料も、行政の資料も、何かを学びたい、知りたい人のために体系的に揃えているのが図書館という場所。人の人生の楽しみ、人が人生を通してやりたいこと、仕事・・それら全てには「情報」との出会いがある。知ることとの出会いを創出するのが図書館という場所。そのための「資料」は本屋さんでは事足りないものもある。その価値を享受するのは地域社会を構成する主体(行政とかNPOとか企業とか)と生きる人々。わくわくする、元気になるような「知」と出会うことで、誰か一人をエンパワーする。すなわち、社会全体のエンパワーとなるのではないか。そうした図書館のあり方を、社会全体で共有したいと思う・・という話がまわりの人には通用しない!!!「伝わらない」って言っているより、一緒にそれを「体験」「共につくること」が大事だと思った。

そして、それが伝わらないという、図書館関係者の閉塞感のようなものも図書館関係者の集まりで感じた。

 

コーディネーターとなる、参画の場をつくる

コーディネート、参画する場をつくるということは図書館に置き換えると活かせるのではないかと思った。

本を取り巻く多様な主体(書店や図書館や出版業界など)とその価値を享受する主体、人々が、本というものの価値を共有する、一緒に体験をすることが大切ではないか。そもそも本なんていらないと言われる時代が来るのではないかと思っており、社会全体が「本と人が出会う場」がある価値を共有することが大事ではないかと思った。

自分が出会ってきた図書館関係者をエンパワメントすることは、図書館という組織を地域社会の中で成長する有機体として育てていくことにつながる。そう思って、図書館の人と多様な人が出会う場をつくろうと思って、小さな集まりを始め、それをにんげん図書館と名付けた。

にんげん図書館の取り組み

自分の行動する理念には「身の丈」というものがある。

身の丈に徹するからこそ見える。育っていくコミュニティもある。組織から飛び出す図書館関係者と出会って、その図書館員さんをゲストに招いた企画や、読書会などを細々と2012年から続けた。

2017年ごろに「ウィキペディアタウン」という企画を図書館と共催で行うようになる。ウィキペディアタウンは地域の歴史や文化について図書館の資料を活用し、ウィキペディアに編集するというもの。

ウィキペディアには、独自研究は載せない(わたしはこう思うという主観)中立的な観点、検証可能性があることという編集方針がある。

つまり、ちゃんと記事を書こうとすると図書館を活用する必要がある・・

そんなわけで全国の図書館で実施されているイベントで、公共図書館といつか一緒にやりたいな・・・と思っていたことが2017年ごろからできるようになる。図書館と共催なんて夢のお話!と思っていたら、「こんなことをやりたいのだけど・・」と相談でき、図書館と一緒に何かをするということができるようになる。

実施して気づいたこと
ウィキペディアタウンのような大きなイベント(30人規模とか)では啓発にはなるし、裾野を広げる機会としてはいいけど、主催者側・お客さんという関係性になり、情報を消費するような形になってしまうということ。(例えば地域の歴史や資料に触れて、へー!とは思っても、それを受動的に利用するような立場にしかならないみたいな)もっと小さなコミュニティ、継続的な場というのが必要なのではないかと感じていた。
 
ウィキペディアの記述にある要素は、「調べる・読む・異なる情報から文章に統合、編集する・ウィキペディアに書く」ということ。
ウィキペディアを記述するITスキル、ルールに目がいくのだけど、調べる・読む・編集というアナログスキルが大事なスキル。それらを小さく切り出して、学習するような場。
それは図書館主催では維持できないし、「市民がつくる」というコンセプトからも、市民でこうした場をつくっていくのがいいのではないかと思った。
 
あとは、イベントを運営すると、次のウィキペディアタウンの実施を考えている図書館や自治体の方が参加していて、そうした機会が求められているんだなぁとか、個別にどこどこの図書館の人が興味持っているからつなぎたいという連絡をもらったりすることもあり、実践を共有し、人や組織がつながるプラットフォームのような場が必要であるなぁと感じた。
ネットワーク、プラットフォームの必要性 

ウィキペディアタウンを図書館と一緒にやるようになったのは、3年前からなんだが、自分一人でやってることの限界と、取り組みを行う人や組織がつながらないことによる機会損失もあるなぁ、なんかもったいないな〜というのをずっと思っていて、どうしたらいいかな?と思う時に相談に行く、起業支援ネットさんに相談にいった。どのような形がいいかを考えたのが、2年前?

 

その時に言われたのが、個人の自発的な意思で入る場にすること(例えば、こういう担当になったから入ったほうがいいと言われ、入るとか、誰か権威のある人が入ったから入るみたいな形にしない)

 

研究・調査・実践・交流・学習・・・でつながる場にすることというのを構想していた。それって、日本図書館協会みたいだね?!と言われ、なるほどそうか。日本図書館協会に喧嘩を売るわけではないが(笑)小さくてもエッジがかかり、多様な人々が集う実験場のようなところにしよう・・・。

東海ナレッジネット(仮)としての活動

一緒に企画側に回る人も見つかってきたというわけで、名前を仮で決めた。分かりやすくて、公共性が高い名前がいいということでこのような名前に。そして2020年春に正式立ち上げ予定で準備を進めている。

やることは、ウィキペディアタウン・エディタソンの企画実施と、実施したい図書館や自治体の運営支援、それらの実践の共有・学びあい。図書館を含む地域の知を担う人々が、自発性の元につながり、出会って、お互いの課題とニーズを知り、何か新しいことをする(かも)

 図書館の人、いろんな人のエンパワーメント 
今年でにんげん図書館を始めて8年目になるのだけど、そんなに続けるとだいたいマンネリ化するか、飽きるか、しぼんでいくかなんだが、飽きないし、むしろやりたいことは増える。「身の丈」を大事にしているからかなと思う。
 にんげん図書館やるときに思っていたのが、図書館の人のエンパワー、元気になる場所をつくりたいということ。
 エンパワーは、多様な価値観に出会ったり、自分の芯に触れる思いに出会ったりするときに起きる。そういう機会をつくりたい・・と思っての企画だったんだが、東海ナレッジネットもそれは同じであるし、共感・共創する人がたくさんいるから、さらに楽しい世界が見えそうである。