行事がしょぼい保育園はいい保育実践をしている

さとちんの保育園の劇ごっこの発表会見に行った。昨年度はコロナでビデオに撮ったのを見せてもらったんだった・・発表会!とは認識していなくて、保育園の劇ごっこ見る感じ??と勝手に思っていたら、行ったらちゃんとした発表会的なのだった・・笑
朝から緊張していて、自転車の後ろにさとちんを乗せ、緊張したらどうするの??って聞いたら、
「〝ひーと〟って、てのひらに3回書いて、ごくんとのみこむといいんだよ」という超古典的なおまじないを教えてくれる。笑おばちゃん先生が教えてくれたらしい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
劇の題目は、「王さまと9人の兄弟」
大人が一生懸命子どもたちを指導した成果ではないところがいいなと思った。そのワケは・・
おばあさん役の子が2人出てきた・・
出てきたが、二人で緊張してもじもじして、勇気を出してせーので言う。
その後も、家来役、おじいさん役・・なかなかセリフが出なかったりするが子どもたちが、フォローし合う。さとちんは・・「ろうじん」役で、相方Yくんと手をつないで頑張ってセリフ、いっておった。
セリフ忘れると、他の子どもたちが、
「Sくん、次は〇〇○だよ・・!」とこしょこしょと、いう。
出るのを忘れている子がいると、
「Aちゃん次だよー」って教えている。
登場の仕方も、真っ直ぐ歩くわけでもないし、みんなそれぞれの登場の仕方。
大道具、小道具が子どもたちが自分で出して、自分でしまう・・
間が空いたりもするけど、先生の手伝いなしで、全部子どもたちで20分の劇をやっていたーー。
衣装は子どもたちが手作りした、ゴミ袋に色紙貼ったりなんかしたもの、頭には画用紙でつくった帽子みたいなのをかぶってる。
 
〝行事がしょぼい保育園はいい保育実践をしている〟
これ、保育関係者から聞いた言葉なんだけど、ほんとそう。
うちの保育園、行事が少ないし、運動会・発表会も、「大人を感動させる系」のことはいっさいないのがいいなと思っていた。大人の手をかけないから、子どもが自分でつくって愛着が湧くゴミ袋衣装。大道具や小道具は段ボールでつくったものや、保育園にあるおなべなど子どもが取り扱いやすいもので、最小限のしょぼさ。
劇の進行の大道具を大人が出したりすれば、劇は滞りなく行くが、先生は手出ししないで、自分たちでやる。そうするとたどたどしくなる。
ミュージカル並みに立派な、手作りの衣装で、みんながお揃いのものにすれば、見栄えはするし、「かわいい〜、すごい〜」と言われるものになる。しかし、しょぼい行事には、「見栄えがする、親ウケするためのことをする」ために、先生がヘトヘトにならなくていいと思う。見栄えしない行事にすれば、「見た目はしょぼく」なる。その方が、大人の過剰な介入なしに、子どもが自分で創造に関わって学んでいるっていいうことだと思うのよね。
 
合奏とかお遊戯会とかで、「みんなで、おなじことを一生懸命やっている姿に感動した」とか、「先生、こんなかわいい衣装つくってすごーい、かわいい」と、思わず声が出るような舞台衣装並みなやつは、その裏では、子ども主体ではなくなっているかもしれないと思う。
思うけど、だいたい「子どもたちが喜んでいた、達成感を感じていた」って言葉でまとめられる。
 
多様性や創造性を詰むような介入があるかもしれないし、先生が一生懸命、はっぱかけて指導しているかもしれない。寝る間も惜しんで衣装作っていたり、または親がつくっていたりするかもしれないよね。
 
保育士の専門性って、すごいミュージカルや舞台をつくるために衣装作ることや、みんなが同じことができるように指導することじゃなく、子どもたちが遊び、学び、創造するプロセスを設計し、寄り添うことだと思うのよね・・