ふあんそうじき

ふあんそうじき
夜、おばあちゃんちでご飯たべる。帰り道、さっきまで笑っていたのに、突然、さとちんは、「あしたはほいくえんにいきたくない・・」と言って、大声で泣き出した。
家に帰って、お絵描きしながらお話ししようかと言って、「しんぱいまっぷ」を描き始める。
字がかけるようになってきたから、しんぱいまっぷと自分で描いてもらう。描きたいペンも自分でもってきてもらう。と、この時点でいくらか気持ちが落ち着いて、前向きな様子になる。
 
お昼ご飯食べるグループが一緒の、お友達のおーちゃんに、「さとちゃんのグループに来ないで!」と言っちゃったことが気になっていて、おーちゃんとその話をするのが心配。
「おーちゃんがやすんでくれたらいいのになぁーー」と言っている。
ついでに、仲裁に入ってなんか聴いてくる先生も「やすんでくれたらいいのに」と言っている。ふむふむとお絵描きしながら描いて眺めて話す。
結果、保育園に行ったとき、とうさんかかあさんのどちらかが、おーちゃんとさとちんの話に入って一緒話すことになる。
その後、「ふあん」「しんぱい」な気持ちについて話してみる。
「誰かとお話したら、おかあさんは、不安さんが一つずつどこかにいっちゃうんだけど、さとちゃんどんな感じ??」と聴いて、丸を描いて、不安がどっかにいく絵を描いていたら、
さとちんも、ペンでぐるぐるとまるを描いて、
「さいしょはこんなふうに大きいけど、だんだん小さくなる・・・」となんだか既に、楽しげになっている。
「ひとつずつふあんさんがすいこまれていくんだよーー」と、絵を描くのが楽しくなっている。あーなんかそうじきみたいだよね。じゃあ、「ふあんそうじき」と名付けよっかと話す。なんか面白いことになった!って感じで、キャーキャー言いながら、お風呂に入ってるモリソンに話に行っていた。どよーんとした気分は晴れやかになり、エンパワーされた感があったな・・
 
『うそっこの世界が子どもの生きる力』
この言葉、大学生の頃に人形劇を教えてもらっていた丹下進さんから聴いた言葉。
また、同じように大学生のころ、モーリス・センダックについての評論でも、子どもは、ファンタジーの世界で現実を生きる困難を解決していくと読んだ。
小川洋子の「物語の役割」にも、「困難な現実を受け入れる時 もう一つの物語をつくっている」ということが書かれていたように、「物語」「ファンタジー」は、人が生きていくための智恵だと思った件だった。
「ふあんそうじき」があるという想像で、さとちんは、また次に困った時に、ふあんそうじきを思い出して、対処していくかもしれない。
 子どもが絵本に出会うのは何かいいはず、本を読むといいことがあるはずってぼんやり大人は思っていると思う。本を読んだか、絵本読んだかは重要だが重要ではなく、「言葉」と「物語」を創造しながら「物語」と生きていくということが大事なのである。それは日常の中、日々を支える中にあるのだと思えた、大事なシーンだった。