目の前にある社会

 妊婦になったころに、「マタニティマークをつけていると電車やバスで煙たがられる・・・」というような、声をネットで見たけど、実際はそんなことは全然なく、

席を譲ってもらえたり、お腹が大きくなってきたら、話しかけてくれた人が妊婦だったころの話なんかをしてくれた(たいてい、おばちゃん)

 

子どもを育てるようになって、「ベビーカーうざい・・」とか、「電車やバスで赤ちゃんが泣きやまないと冷ややかな目で見られる」というような声もネットで見るけど、

そんなことを、感じたことがない。

 

ウチには車がないから、生まれてからずっと、電車・バス移動。

バスに乗るときはベビーカーを固定してもらう。

ベビーカー固定してもらう時、しばらくの間停車するけど、周りからネガティブな感情を受け取ったことはない。娘がぐずったりすると声をかけて、あやしてくれる。

 

いつものミスタードーナツで、ぐずりだした娘を抱きながら、「そろそろ帰ろうかな」と思ってコーヒーを飲んでいたら、隣に座っていたおばあゃん2人が「抱っこしてあげようか」って言ってくれた。お手洗いに行きたかったから、その間みてもらうお願いしたら、快くOK!と言ってくれた。

 

インターネットの中に渦巻く、様々な状況の人への心ない言葉の数々は、そのまま全ての人の思考で、そして、社会全体を現しているかのように錯覚してしまう。

でも、それって私の目の前に見えている社会ではない。

 

今の社会全体は、不寛容で、殺伐としている。

昔は、人々が暖かくて、余裕があって、思いやりがあった。

 

見慣れた表現でもって社会を見ると、そのように見えるものなのかもしれない。

自分の目の前にある風景を信じたら、みんなが思っている社会の姿は変わるのではないかと思う。