うつと引越し 

 来週、新居(区内・家から車で10分くらい)に引越し。新居完成については、人からは、「おめでとう」としか言われない。おめでたいことだから、環境の変化を不安に思っていても、その不安はあんまり共感されない。不安は、新居の明るい話にかき消されてしまう。妊娠初期にみんなに「おめでとう」と言われるが、心の中の不安は捉え所がなかった時のことを思い出す。そのギャップ感に似ている。

1.いつもと同じが変わってしまう引越し

 うつになってから、「いつもと同じ」が自分の身体には負担がないというのがよくわかる。いつもと同じ時間に起き、いつもと同じ時間、9時過ぎにミスタードーナツか、マクドナルドか、喫茶店に行ってコーヒーを飲んで、本を読み、その後スーパーに行って、買い物をする。午後からは図書館に行ったり、コワーキングスペースに行く。夕方はプールで泳ぐ。休職以来、このルーチンの中で、毎日やることに脳のエネルギー使わないで、自動化して過ごしてきた。「ちょっと違う」ことへアテンションを向ける際に、人間の脳は情報処理をして対応しているが、今の私の脳は対応力が落ちている。

 引っ越すということは、いつも通る道は通らなくなるし、家の中の風景は変わるし、目に入るもの全てが「変わる」ということである。引越した後、システムをまるっと変えて暮らし始めるようなもの。

 わたしは、もともと、「環境」への親しみ、愛着が強い。道に咲いてる花とか、壁のシミとか、月極駐車場の看板とか、自販機とか、忘れてしまうようなことも含めて自分がいつもいる環境を愛しく思っている。そうしたものが全て変わってしまう。「そんな大袈裟な・・、そのうち慣れるよ」と思われるかもしれないが、人から見たら、水滴一粒垂らし、拭いたらすぐになくなるようなものも、今の私には、大きな波のように増大して、疲労感や不安感になり、そして体調は悪くなる。それがうつであり、その身体の変化もイメージできるがゆえに、引越しが楽しみというか不安の方が勝る。「気にしない」ようにしたらいいとかそういうことではなく、脳のプログラミングの問題。

 メンタルクリニックで、主治医とは別に時間を取る、心理士さんのカウンセリングの時に、不安について相談し、対処を一緒に考えた。超具体的で、参考になったのと、こうやって考えれば、環境の変化ストレスもできるだけ小さくできそう。

2.引越し鬱に備えるための工夫

▶︎自分の「いつもと同じ」をつくるいつも使うものや、安心できるものが、引越しのハコの中に紛れないようにする。つい先日、いつも使うものがない、探すということをこの前やってて、そのイライラ感によって、不安、息苦しさが増すなぁと思った。引っ越したらこうなるんかなと思う。自分の安心をつくるものは紛れないようにする、これ大事ねーー。

▶︎新居から自分の好きな場所(図書館・プール・喫茶店)に行く道に慣れておく。

 風景を染み込ませるようなことだ。

▶︎子どもや家族との関係、慌ただしさ、いつもを維持できない要素を減らす。

引越しにより、私以外の家族が「いつもの」をつくれるようにする。子どもが使うものがどこにいったかわからない・・!子どもイライラ・・となると子どもとのコンフリクトになる。子どもがいつも使うものをわかりやすくする。

▶︎段ボール箱が部屋の中に積み上がるといつもの環境と変わりざわざわするかもしれないが、

「今だけ」と思う。箱を見えないところに積んでおく。

▶︎引越し後の予定

 予定を入れない。子どもの冬休みのお休みの時、子どもが何しよう、暇〜!って言うことへの対応がストレスになることがあるから、遊ぶネタをいくつか用意しておく。

 スーパーも年末年始でいつもと変わるので、まとめ買いするなどして、世の中の喧騒からの影響を小さくする。

3.自分の安心をつくるものを自覚する

心理士さんとの面談が終わって、後日、自分の安心をつくるもの、自分が気づいてない自分のルーチンとは何かを改めて考えた。リスト化した。

「朝のNHK朝ドラ、ブギウギを見るのは大事なルーチン」だと気づいた。引っ越した翌日もブギウギ見られる環境は大事だな・・とシュミレーションし、イメージしたら、なんと、電気工事の予定の関係で、見られるようになるのは、年明けーーーー!と、わかった。。

 そのため、レンタルーターの予約と、自分のパソコンで見逃し配信見られるように設定が必要とわかり、見逃し配信の設定を自分のPCにして、見逃し配信を見てみた。

 よかった・・これで一本生命線がつながったような気分だ。

 自分の大事なものやコトというのは、些細なことすぎて気づかないものである。それが安心をつくっている、それが欠けると不安になるということに気づき、「快の轍」をつくることをできてよかった。環境の変化ストレス対応は、災害時とか、卒業・入学・入園などの時にも参考になる考え方だと思う。あと、「いつもと同じ」に安心する発達障害特性のある方も同様の考え方で対処していると思う。いつもと違うことに対応できるって、当たり前のことじゃないんだねと思う。

 

本・図書館・本のある場についてのブックリスト

名古屋市中村図書館で開催されている、だれでも本を選書し展示できる取り組み「ひとはこ図書館」に参加。12月9日から、「本・図書館・本のある場」についての本を私が、20冊を選書し展示されています。選書した本のキーワードを取り出し、マップも作成し、図書館に展示してあります。

図書館=本 本=読書という固定概念を外す、図書館や本というテーマでは出会わないであろう本や、「本、図書館、本のある場」とはどんな場で、本を読むことはどのような体験なのかについて、多角的に考える本も選びました。

新しい世界を開くきっかけになる1冊に出会えると嬉しいです。

 

 

※マップには、資料名しか記載しておりませんが、ご了承ください。

 

おとなアーティスティックスイミング1日目

 水泳沼にハマっている。休職してから、毎日、週5日ー7日、プールに行って泳いでいる。その間に、ぎっくり腰をやり、たまたま出会ったスイマー整体に行き、身体を整えるうちに、身体への解像度が上がり、腰痛予防に体幹鍛え、身体が柔らかくなり、泳ぎのスキルが上がった気がする・・。泳ぐことへの様々なアプローチに関心が湧き、おとなのアーティスティックスイミング(旧シンクロナイズドスイミング)@ガイシホールを見つけ、本日、初回講座。
ドキドキしながら参加。参加者は12名。50代ー60代女性、1人だけ30代男子‥!
「シンクロとは、泳ぐことであり音楽だった‥」と、思った。
そういえば、わたし音楽の感覚、リズム感についてはだいぶ感覚が乏しいんだったが、シンクロってて、拍を取りながら泳ぎを合わせることなんだよね!やったことなかった、新しい世界だった‥。

1日目のメニュー

「イチ、ニー、サン、シー」と、音楽に合わせマイクでカウントを取るぽっちゃりめの先生とプールの中で見本を見せたり、フォーム修正する、スラリとした先生がいて、ノーズクリップつけるとアーティスティックスイミングの選手みたいだ・・!
アップで、スイムとキックで泳いだあと、カウントに合わせて手足を動かす練習。
最初は背泳ぎ。
右手は身体に対して直角に上げ、左手は進行方向に手を伸ばすのを音楽をかけ、「1、2、3、4・・」の先生がマイクで話す、カウントに合わせて交互に手を変える‥!めちゃむずい。

脳トレだな‥
次、平泳ぎ、顔をつけずに、できるだけ首を伸ばし肩を下げ、カウントに合わせて、手をかく、蹴る。「カウントに合わせる」から止めねばならぬのだが、止めるのが難しい。かいて泳いでしまう。止まってる間、立ち泳ぎ、手はスカーリング(犬かきみたいなやつ)
カウントのこと忘れて、つい手を掻き、泳いでしまう。「カウントに自由はありませんから!」と、ぽっちゃりめの先生、笑ってゲキを飛ばす。笑
プールの中で見本見せてくれる先生は、首がスラっとしていて姿勢がよく、涼しい顔して、顔をつけずに平泳ぎしてる。最後は、プールの岸にかかとを乗せ、背浮き、手は身体の下あたりでスカーリング

 水泳とアーティスティックスイミングの違いは、水中での身体の使い方。水泳の場合だと「止めずに流れに乗り動かす」のが抵抗生まれないからよい。しかし、アーティスティックスイミングでは、音楽のテンポに合わせるには、「ピッと止める、サッと動かす」ということが必要で、流れに乗り動かす動きは求められない。テンポに合わせて止めるのが難しかった・・違う難しさがあり、スキルがいるなぁ‥今日はこの3種類だったが、難しい〜。身体の力を抜いてやるのが大事っぽい。

どんな人が通っているのか・・

 3分の1は、毎年この時期にガイシホールでやるこの講座に通ってます!っていう常連メンバーで、先生が主催してる「おとなのシンクロサークル」に入っている方4名。4名のうち1名は30代男性。リアルウォーターボーイズだ!ウォーターボーイズみたいに水着はビキニタイプ。男子でこれ、履いてる人最近見ないわ‥と思ったが、シンクロでは、こちらが主流なのだろうか。リアルウォーターボーイズくんは上手だった。今日は、仕事早上がりしてきたらしい。

他の経験者の方は、「前はスイミングしてたけど、しんどくないからアーティスティックスイミングに通うようになったの〜」と言っていた。いや、こっちは、脳も同時に使うしんどさがあると思った・・

 

先生、リワークに行きたくありません

先生、リワークには行きたくありませんと言った日

うつと診断されて、半年くらい、そして休職して、1ヶ月。8月中旬のメンタルクリニック受診の日。職場復帰のことを話している時に、主治医は、「こういう時は、リワークに行くといいとオススメするんですよね」と言った。

私は、咄嗟に「先生、リワークには行きたいと思わないんですよね」と言っていた。

直感的に、行きたくないと思った。咄嗟に出る言葉というのは、本心だと思う。

私は、昔、障害者の就労移行支援事業所で、職場に合理的配慮を求めるジョブコーチの立場で働いてきたこと、今の仕事でも関わるのがリワーク機関でもあることと、「知り合いがいそうだから」と理由を伝えた。主治医は、「そうですか・・!」と目を丸く、なるほどという顔をしていた。リワークの件は、それについてどうするかは、持ち帰り案件となった。

仕事モードの自分Aと、利他モード(文化・哲学・思考)の自分Bの両輪

その次の受診は、1週間後。1週間の間にどうしてリワークが嫌かを考えた。

リワークに行きたくないのは、「知り合いに会いそう」という理由ではなく、「社会資源と調整する仕事モードな自分が登場しそう」だからと気づいた。

もし仮に行くことを検討するとなると・・

めぼしいところに電話をする→体験や見学の予約をする→面談をしてもらう→面談するとスタッフさんはなんか書いている→「あーアセスメントってこうやって取るんだな・・」とか観察する自分がいる。そういう自分の動きが想像できてしまう。それが、もう「仕事、オフィシャルな自分A」の姿であり、今は、「利他モード(文化・哲学・思考)の自分B」の方にいたい。「利他」とは、色々な場の「間」を指している。(「利他とは何か」を読むといいですよ。)自分Aの世界は、私には〝頑張りすぎ、やらねばならない〟義務のように思える。

 1週間後の受診で、私は、主治医に言った。「リワークに行きたくないんです。」「行きたくないけど、復職のために、試しに行ってみる」と考えた方がいいですか?」

主治医は、「それはやめた方がいいと思いますよ」「〝本当は行きたくないのに行った〟時、それでダメだったとき、行きたくなくて行ったからダメだったんだということを検証する経験にしかなりません。〝行きたくない〟と感じるのはどうしてか、何があるのかは、森さん(わたしのこと)にしかわかりません。その違和感を大事にして、丁寧に見て、小さなステップを見つけるのです。

わたしは、「でも、リワークに行かないとすると、さらに復職までは遠くなりますよね。ものすごい距離に思えます。」と、言った。

主治医は、「復職がゴールだとすると、ものすごくたくさんの壁があります。その距離を感じるということが森さんには必要だと思います。」と言われ、診察室を出た。

 リワークに行きたくないというのは定まったが、具体的な道は見えないまま。そして、次の受診は2週間後。また、数日間考えた。もし、私が、自分を支援する支援者なら、〝ここのリワークがいい〟と思うリワーク機関がある。そこは、ストレングスモデル(その人ができることを大事にする)で、就労や復職が必ずしもゴールではない支援をしているところ。リワーク機関のHPを見る。「認知行動療法、セルフモニタリング、セルフケア、マインドフルネス」などの説明が並ぶが、私には、ワクワクしない、行きたいと思えなかった。

みうらじゅん的に生きたい・・

 ちょうどその時、みうらじゅんの「ない仕事の作り方」という本を読んでいた。

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 みうらじゅんは、自分が好きなこと、それは何の価値をもたないように見えることも、究め続けてきた人で、「こういう視点で、自分のリワークを考える方がわくわくするよなぁ」と思ったのと、リワーク機関のHPに並ぶ言葉が、私には、正攻法でつまらないことのように思えてしまった・・。しかし、リワーク機関に通う=労働市場で生きることによせることであると思った。選ばないということは、労働市場で、自分のパフォーマンスや求められる成果を納品して、その対価で給料をもらうという世界の岸辺からますます遠ざかる方を選んでるんじゃないの・・。「しのごの言ってないで、リワークに行けばいいのに・・」「厨二病みたいな夢みたいなこといってんの」なんていう自分の声も聞こえた。そうした声を自分に向けるほどに、出口が見えない閉塞感が強くなっていった。リワークに行くことが、「仕事モードな自分A」で、同時に、他のところで「文化・哲学・思考の自分B」を確保していればいいので、リワークに何を求めるかであるとも理解していた。でも、行きたい気持ちが湧いてこない・・むしろしんどい、ハードル高く感じる・・

 リワーク機関に行かないで、リワーク的なことをプログラムすることは可能なのか?それよりも、自分でリワークプログラムを組むことはできないだろうか?例えば、どこかのNPOでボランティアするとか・・?と、具体的にどこでやるか、答えは出ていない。そうしているうちにまた、2週間の受診が来てしまった。

停滞している自分に気づく

 リワーク案件について悩んでいる間に、自分がもともとやっていた、役職は外れることになった。それは、休職は伸びるし、そうした方がいいと自分でも望んで申し出たことでもあった。そうした決定、メールのやりとりから「お前はもういらない人間」というメッセージを勝手に受け取り、不安や悲しみが増幅するスパイラルに入っていた。その状況は、3週間くらい続いている。そして、さらに、この先どうするか、ステップも見えていない。〝この状況をよくない、停滞している〟と、主治医は評価したのか、「抗うつ薬を増やしましょうか」という。しかし、「抗うつ薬を増やす」理由にピンと来なかった。「どうして増やすかわからない」「何かを変えられる、変わってしまうのが嫌」と伝えた。

主治医は、「違和感を大事にしましょう」と言った。次のステップも見えてこない、悶々とした思いで診察室を出た。主治医は、「停滞」したままと思っただろう。しかし、私は「停滞」しているとは思っていなかった。そうか、停滞していたんだと、主治医の言葉で気づいた。受診の帰り道、さっぱりした気持ちになっていた。そして、知り合いのNPOの人に相談してみた。「事務所のデスクで出勤トレーニングさせてもらえないでしょうか」と、相談した。快く協力してくださることになった・・!やっと次の道が見えたように思った。

支援のフレームに乗りたくないわたし

 自分なりのリワークのステップを見つけるのに、3週間もかかった・・私は休職前は、「リワークに行くといいよ」と言う側にいた。でも、いざ選択肢として挙げられると、行きたくないと思えた。

うつのせいもあるが、人間関係や場に対して敏感になっている。新しく出会う人と話したり、共に学び合うグループワークとかしたくないんだよね。自分の世界が脅かされる気がする。「支援」のフレームに乗せられるのは不自由そうな気がする。人の中で調整して生きていきたくないという、ワガママとも思えるもう一つの自分の声が聞こえてきた。

私がすんなり「リワーク機関」に行ってくれた方が、主治医や職場は安心するだろうと思った。そうした機関には、支援のフレーム、目的がある。私がそこに乗れば、目的を果たせる画が見えるからだ。自分のリワークという選択をしてみて、「自分のステップを自分で考えている時」の方が楽しい。すぐにリワーク機関に行く方が、近道かもしれないが、「道なきところを探求すること」が自分が大事にしたいことだと気づいた。その延長として、リワーク機関にかよって、フィールドワークすることもあるかもしれないと今は思っている。

 「支援されたくない」という利用者、相談者さんはこういう気持ちだったのかもしれない。今まで、「A型に行ったら?」とか、「B型に行ったら?」とか、「リワークに行ったら?」と、〝決めるのはあなたの自由〟というスタンスをとりながら結局は、支援のフレームに乗ってもらうことを無自覚に押し付けていたかもしれない。リワークを薦めたあの人のことを思い出して心の中で謝った。

プロセスは人それぞれ

月並みな言葉になるが、人それぞれなのである。リワーク機関の専門性やメリットを理解している。リワークで多様な人に出会うことがプラスに働く人もいるし、心理師さんや産業カウンセラーもいて、職場復帰を考える専門家のパートナーができる。わたしもいくとそうした気付きやつながりを得ることができるかもしれない。リワークに行くことがいいとか・悪いとかを伝えたいわけではない。主治医が言っていたように、「何が自分にとってのハードルなのか」をよく観る、自分に聴くことから、次の一歩は見えてくる。それは自分にしかわからないということだ。

対話と時間の経過の中で立ち上がる見えないもの

「先生、リワークに行きたくありません」と言ったのはどこから出てきた言葉なのか、見えない自分の心の中を探究していくような時間だった。自分なりの答えを見つけることができたのは、主治医とのやりとりがあったからだと思う。「支援とは〝支援者〟と〝被支援者〟との対話の中から立ち上がってくるもの」であると、本で読んで学んできた。主治医は、問いかけ、現状を見えるようにしていた。それにより、私は考えることになった。規定路線にはまらない、では、どうするといいかについて、主治医は答えをもっていない。立ち上がってくる見えない関係性、時間経過によって、私の中から力が湧いて、思考し、答えが見えてくる。それを実感した経験だった。

図書館リハビリ活動 確かさのない世界でも安心する「現象学」という思考

 アーレントハイデガーからのフッサールに興味が出て、フッサール現象学のなんか本ないかなと思って、図書館の本棚にあった、たまたま手に取った本。フッサール現象学は超難解だと、本の感想をブログなどで漁っていてわかったが、この本は読者にやさしかったように思う。「哲学の中でも難解なことで知られています」ってフレーズをよく見るけど、難解じゃない哲学なんてないんじゃないの・・
自分の立っている場所が揺らぐ恐怖
 この本を読んだ時の私のこと。うつの脳が引き起こす恐怖の中にいた。自分の中から湧いてくる恐怖や不安の世界は今まで見たことがない、経験がしたことがないものだった。自分が立っている場所、そのものが根底から歪んでいくような恐ろしさだった。具体的にどういうことが起きたのかというと、夜、急激に不安が増幅し、足のしたからぞわぞわと駆け上がって、今まで感じたことがない動悸の激しさの中で、今日の夜をどう過ごそうかと思った。その時、自分が知っていた「うつ」の世界とは全然違う、もっと怖い世界があるということを知った。その世界は死にもつながっていることがはっきりわかった。自分の不安に殺されるということもあるんだと恐怖に慄く。
 目に入るもの全て、少し思った小さな不安が恐怖になった。例えば、「あの人と約束したお茶にはいけないかもしれない」「ライブラリアン活動もできないかもしれない」「楽しいことももうできないかもしれない・・。」そうした言葉が脳に登場する、登場したことは、自分の意思とは関係なく、強い不安、衝動に変わって増幅して、自分に襲いかかってきて、動悸がする。そのような現象に対して、深呼吸、腹式呼吸、しこを踏む(「セルフケアの道具箱」著者 伊藤絵美 晶文社)ボディワークをする。それでも湧き上がってくる焦燥感と強い動悸、1秒も穏やかに過ごせない。「今日もまた夜、あのような恐ろしい渦の中に放り込まれるのか・・」夕方になるとそう思えてくる。すると、ざわざわといてもたってもいられない気持ちになる。外に出ると、目に入るもの、信号機、横断歩道、車、自転車、スーパー、電柱、全ての風景が自分を襲ってくるように感じ、目をつむって呼吸を整えた。
 そのような夜を過ごし、薬を飲んで寝ることができ、朝になる。心からへとへとになった気分で、図書館に行く。自分の中に起きていることはなんだったんだろう・・呼吸を整えるように、本を開いて、ただ文字を目でおって、心の中で声に出して、丁寧に書き写していた。
 
確かさのない世界で
 メンタルがやばい時に、小難しい哲学の本を読もうとは多くの人は思わないかもしれないが、私はたまたまた読んだ、哲学に心が静かになっていく思いがした。心が静かになる、脳のスピードが緩まっていくのは、哲学は答えを示さない、問いを出すから。自分とのやりとりが生まれるからだと思う。

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この本は現象学について何も知らない人にもわかるように書いた本ということだった。
 
現象学とは何か?
「本書の導きの糸となる人るの考えが浮かび上がってくる。本当に何の疑いものなく「確か」だと思われていることは、かえってことさらに「確か」だと言われることはなく、あまりにも確かなことは、語られることさえなく、沈黙のうちに沈んでいるのではないか、というのがその考えである。そのように沈黙のうちに沈んでいる広大な世界を探求しようとするのが、「現象学」と呼ばれる学問である。(P14)
 
さらに、この本の序章にはこう書かれている。
 「自分」とは何かがわからなくなったとき、「他人」とは何かがわからなくなったとき、「世界」とは何かがわからなくなったとき、「生」がなぜ営まれているのか、「死」が何を意味するのかわからなくなったとき、これらの問いに対して、手っ取り早く答えてくれるものを見つけられる人は稀であろう。多くの人は、問いに蓋をすることしかできない。問いに蓋をするのは、怖いからである。不安だからである。それでは、その不安に、ヒロイックに立ち向かうことが求められるのだろうか?
現象学は、一見こうした問いとは無縁であるように見える。実際、フッサールは、こういった(かつて「実存的」とも呼ばれた)問いに華々しく正面から答えようとはしない。
 それにもかかわらず、フッサールの創始した現象学は、先に述べた一連の問いにも、どこかで通じているように思われる。噴出しようとする問いに蓋をして無視をするのでもなく、不安と派手に一線交えるのでもなく、不安に飲み込まれずに、冷静にこの問いへと「一歩一歩徒歩で」近づいてゆく道を現象学は指し示しているように思われるのである。(P18)
 
 まさに、不安と恐怖を経験し、どうしようかと思っている自分の目の前に現れたのが「現象学」という考え方だった。突然経験したことがない「不安」とどう付き合えばいいのか。自分が立っていた地面は、全然確かではなかった。足元の世界が崩れ落ちていくことへの恐怖は41年の人生で経験したことがないものだった。
 この経験の後、メンタルクリニックの主治医に、「死ぬほど怖い恐怖がまたやってきたらどう向き合えばいいのか?」と、受診の時に尋ねた。主治医は、穏やかに、優しく「不安でも恐怖でも大丈夫です。そこにいれば大丈夫なのです。」と言った。死ぬほど怖くても、そこにいれば大丈夫とはどういうことか・・!「いやいや、不安も恐怖もいやじゃん・・・」と思ったが、主治医は、いつもの会話と変わらないトーンで、「そこにいれば大丈夫」と、言った。また不安や恐怖がやってきた時に主治医の言葉を思い出していた。主治医があの時、言っていたことは、不安に飲み込まれず、「現象学」というパースペクティブで捉えるということだった。
現象学的に、自分の中に起きたことを観る
 主治医は、「自分が対処できたという経験が、自分の中にできてくるはずです」と言っていた。その経験以後、恐怖や不安の波がきたら、まずは落ち着く・・深呼吸する、体を撫でる。小さな不安や恐怖の波は、アテンションを変えるように外を散歩する・・と私の中にいくつも対処してきた経験ができた。そのように、自分の中にある構造、パターン、規則性があり、それを「わかっている」から対処ができる。そのように、現象学では、ものごとには全てに一定の規則構造があると考える。
身体を動かしている意識がないのに、周囲の景色が激しく動き始めたら、私はすぐに異変に気づく。自分が目眩を起こしているのか、自分が乗っている地面が激しく振動し始めたのか。何が起こっているのかを確かめようとする。そこで私が異変に気づくということも、私が現れの変化をいつも身体の動きと一緒に意識している証拠である。(P96)

「通常の状態」では、私はつねに、私の身体の動きと、世界の現れ方の変化とを一定の相関において捉えていることがわかるのであり、この相関が一定の規則的構造の中に収まっているかぎり、わたしは世界を安定的に経験することができる。(P96)

 

 
 生まれてから、「こうなったらこうなる・・」という経験で予測ができることばかりである。例えば、道を歩いていると、「信号が赤になると車は止まる」とわかっているから、青信号で道を渡る。ささいなパターンがこの世を構成している。しかし、私が「当たり前」と思っていることは、当たり前とは限らない。海外に行けば全く違うルールがあるかもしれない。また、交通事故で目が見えなくなる、身体の機能を失えば、感覚世界は「当たり前」ではなくなる。私が「死ぬ!!」と思えた経験も、41年の中で経験がしたことがないような感覚であった。主治医は、いろいろなことが押し寄せても「ふーん。〜そうなんだね」と受け流すよう言った。(これも「セルフケアの道具箱」に書かれているマインドフルネスの一つ)「ふーん。」と捉えることが、現象学的に物事を見るということだったなぁと思う。
 
現象学」の捉え方 「物」から「構造」への視点の転換
 わたしが最も面白かった箇所はここ。
 「物」の背後、下部には、絶えず変化し続ける現象のなかに現れる多様な相関関係があり、「物」は流れの中にたまたま表に見えた、「インデックス」のようなものだと著者は述べる。
 多様な相関関係は生成される。フッサールは、能動的に「つくりあげる」かのような表現は極力避けていたらしい。能動的な作用なしに、現象がおのずから生成されること。
 これって、学習する組織の「氷山モデル」の学びの中で聞いてきたことだった・・
 さらに、
 現象学は、「主観的な」カプセルの中にこもって、主観的体験だけを分析しているのでもなく、客観的な物を自然科学的に分析しているのでもない。
現象学は、「主観的」とも「客観的」とも言えない、具体的な相関そのものを媒体として、その中で、「主観的な」体験の数々と客観的な物の世界とが、まさしく相関的にしかありえない仕方で互いに差異化され、構造化されつつ生成してくるありさまを描き出す。
このようなスタンスに降り立つことを「現象学的還元」という語で呼ばれる。(P105)
 これって中動態みたい〜と思って、現象学とその他の学問との関連に興味が湧いた。不安や恐怖、身体に起きる症状の中でのあり方が示されていた。構造を「つくりあげる」「変える」のではなく、主観でも客観でもなく、ただ「ある」ことだった。
自分で考える人のために書いた本
 あとがきで、著者は、「私はこの本を、自分で考える人のために書いたつもりである。」と言う。また、現象学についてある程度知っている人が、あーあれかと、「わかってしまう」ことを避けるため、現象学の基本的な用語を極力使わなかったということだ。「まっさらなところから新たに立ち上がってくるさまを、生き生きと体験しなおしてみることを試みたかったのである」
 まさに、生き生きとした読書体験が起きた本だった。うつの中で私が見た風景、経験、体感を違う言葉で捉え直した。この世は、「不確かな世界である」それは、当たり前すぎて、忘れてしまう。当たり前のことを自覚した恐怖の中で、自分の中に起きたこと、浮かんだ問いへの応答が生まれる経験だった。焦燥感が和らぎ、脳が動くスピードがゆっくりになっていく契機をもたらすのはこの本だった。「知らない」読者を拒絶はしない、対話的な本だった。
  
 
 

8月31日キャンペーンがつらい

 いつの頃からか、8月31日直前になると、「学校が始まることが憂鬱」「学校がつらい」子どもたちに向けた、ニュースが流れる、専門家のコメントが出る、いじめや不登校を経験した有名人からの「1人じゃないよ」というメッセージが流れるようになった。

 そして、学校に行かなくてもいいようにたくさんの選択肢が示される。

 私は毎年このキャンペーンにモヤモヤ、ざわざわする。

 なぜ夏休みの終わりだけなのか、5月の連休明けは?日曜日の夜は?冬休みや春休みにやらないの?なんでこの時だけ、みんな急に1人じゃないって言い出すの?それ以外の時は、心が1人ぼっちな人はいないの?

 わざわざ、そのメッセージを伝えるということは、その大前提に、「学校には行くもんだ」という前提があるからである。公立の学校の規定の学校以外の多様な選択肢があり、それを親も選ぶための環境が整っているならば、ことさらに「学校に行かなくていい」ことを言わなくていい。「学校に毎日行くのがいい」という価値観は変わらない中で、学校に行きたくない子どもたちのために何か届けたいという「善意」が、「学校に行かないといけない社会なんだという」前提をみんなで強化していると思う。だから、私は、息苦しさを感じるのだと思った。

 1人ぼっちを感じた時に、何かの居場所、何かのサービスにつながることはより難しくなる。全く知らない場所に出かける、全く知らない人に会うような、そんな場所に行ける元気があるだろうか。普段から学校は休んでもよくて、辛いことは言える人がいて、学校も一つの場所。その子が生き生きできる場が学校以外にある。安心できる人がいる、困ったらあそこに行こうと思える場所がある。そうした場所につながりを感じている時に、8月31日の1人ぼっちを過ごせると思う。1人ぼっちの子が見ている世界を想像すれば、そんなことはすぐにわかる。この時になって、1人ぼっちの誰かに、何かを届けたいというのは、何かをしたいが何もできない、何かをせずにはいられない多くの人の自己満足の現れなのではないかとさえ思う。

 「選択肢は多い方がいい、選ぶのその子自身なんだし、こういう選択肢もあるといいよね」と、たくさんの善意によって、情報は溢れる。1人ぼっちで辛い時、選択肢は多ければ多いほどいいかというと、そうではなく、何も選べない自分を感じ、ますます1人ぼっちを感じる。本当に行き詰まっている人は情報を探せないし、情報を選べないし、どこかに行こう、誰かに連絡しようとは思えない。それでも、「誰か1人が助かったならそれでいいじゃないか」と、その善意は正当化される。

 情報をつくる、情報を届けるのが仕事の人は、情報の価値を決めるのはその人だと考える。だから情報があるだけでいいと思うかもしれない。情報を届けたいと思う前に、問題の構造に目を向け、情報の先にいる人が見ている風景を想像してほしい。

 もし、1人ぼっちの誰かの助けになりたいと思うなら、普段から、敷かれたレールに乗れない全ての子ども、大人に多彩な道があることを示し、受け入れ、安心できる場を社会につくる、自分がその1人になる。それができることだと思う。

 

 

図書館の遊び方「未知」の本と「既知」の本

 

 書店と図書館の違いの一つは、〝図書館は、「記憶装置」である〟という点。人は、書店に行く時、読んだことがない本、未知の本に出会いに行く。読んだことがある本は通常は買わない。(私は読んだことがあっても間違えて買うことがたまにあるけど。笑)資料を収集、保存し、利用できるようにする「社会の記憶装置である」図書館は、自己にとっての、「体外の記憶装置」でもある。自分の「未知」(読んでない本)だけでなく、「既読」の本、自分の記憶装置に所蔵されている本に、出会うこともできる。

 多くの人には、「知らない本に出会う」ことのが「価値がある」「価値ある」読書をせねばならないというメンタルモデルがある。多くの読書論においては、本を何度も読むことが推奨されている。しかし、読者は、「そーゆーのって、時間のある有閑知識人が説教的に言っているんじゃない?」「実際は難しい」と思うのではないか。読んだことある本をもう一回読むのって、「価値があるの?」「そんな時間がない」って、思っている。新しい本、読みたい本がたくさんあってワクワクしたり、義務的に読まねばならない本が積まれているのに、すでに読んだ本を読む優先度は上がらない。

 最近、わたしがハマっている、図書館の遊び方の一つ。そして、図書館での遊び方、過ごし方がわからずうろうろしてしまう人に、やってみてほしいことがある。

それは、「既知」の本に出会うこと。「昔読んだ本」それも、棚を眺めていて、すっかり記憶の彼方にあったのに、突然、「この本読んだことあるな!」「ハッ!!」と心が動くように感じた本を、取り出す。表紙を眺める。読んでみるということである。そんなに本を読んでないという人は、子どもの頃に読んだ絵本もいいと思う。

 

ぼーっと棚を眺めて、「ハッ」とした本が、「リンさんの小さな子」だ。

「あーこの本たしか読んだなぁ・・いい本だったなぁ」と思った。 

note.com

 本の内容は、noteの方に書いてある。

 18年も前に読んだ本の「はず」で、心に残る本だったと思っていた。でも、全く初めて出会うように感じた。読みながら、この本を手に取った時、本屋さんで働いていたこと、どの本棚にあったか、働いていた時に見ていた風景が蘇ってきた。さらに、この1冊に出会えてよかったとしみじみと思えるいい本だった。

 また、もう一つは、子どもの頃から大好きだった、「赤毛のアン」。子どもの頃に、何度も読み返していたが、久しぶりに開いてみる。山本容子さんの美しい挿絵が好きで、本の中にある挿絵がイイんだなぁ・・。言葉の一つ一つは忘れている。赤毛のアンには、キリスト教の信仰や習慣やカナダの文化がわからないと理解できない言葉が満載なのだが、子どもの頃は、それも含めて、想像して読むのを楽しんでいた。「モスリンのカーテン」がどんなものかもわからないし、「メイフラワー」がどんな花なのかわからない。キリスト教の警句もたくさん出てくるが、読み飛ばしながら、読んでいた。アンの止まらないおしゃべりを聞いている時間は、心の奥底にある温かい場所に戻っていくようだ。

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 うつの回復過程にとっても、昔読んだ懐かしい本を読むことは「自分が元気でいられる」ことでいいことだと思う。「復職をどうするのか」「仕事をどうするのか」という、考えても考えても答えがないことに頭の中は、支配されてしまう。そうしたループから外れ、問題から距離を置く、遠い安全な場所に連れて行ってくれる。

 この2冊を再び読んで、自分が自分について見えていることなんてほんの一部なんだと気づく。自分の土台を形成してきたたくさんの記憶は忘れながら、生きている。経験と出会いが連関して、人生が編まれる。その流れの中に、たまたまあるのが1冊の本。

 1冊の本という形になっているからこそ、本に再び出会う時に、自分の中で見えなくなっているものも見えるようになるのではないか。「自分の中、探求の旅」という楽しさに出会った。「既知」の本に出会う宝探しのような時間を過ごすために図書館に行くのも試してみてはどうだろう。