先生、リワークに行きたくありません

先生、リワークには行きたくありませんと言った日

うつと診断されて、半年くらい、そして休職して、1ヶ月。8月中旬のメンタルクリニック受診の日。職場復帰のことを話している時に、主治医は、「こういう時は、リワークに行くといいとオススメするんですよね」と言った。

私は、咄嗟に「先生、リワークには行きたいと思わないんですよね」と言っていた。

直感的に、行きたくないと思った。咄嗟に出る言葉というのは、本心だと思う。

私は、昔、障害者の就労移行支援事業所で、職場に合理的配慮を求めるジョブコーチの立場で働いてきたこと、今の仕事でも関わるのがリワーク機関でもあることと、「知り合いがいそうだから」と理由を伝えた。主治医は、「そうですか・・!」と目を丸く、なるほどという顔をしていた。リワークの件は、それについてどうするかは、持ち帰り案件となった。

仕事モードの自分Aと、利他モード(文化・哲学・思考)の自分Bの両輪

その次の受診は、1週間後。1週間の間にどうしてリワークが嫌かを考えた。

リワークに行きたくないのは、「知り合いに会いそう」という理由ではなく、「社会資源と調整する仕事モードな自分が登場しそう」だからと気づいた。

もし仮に行くことを検討するとなると・・

めぼしいところに電話をする→体験や見学の予約をする→面談をしてもらう→面談するとスタッフさんはなんか書いている→「あーアセスメントってこうやって取るんだな・・」とか観察する自分がいる。そういう自分の動きが想像できてしまう。それが、もう「仕事、オフィシャルな自分A」の姿であり、今は、「利他モード(文化・哲学・思考)の自分B」の方にいたい。「利他」とは、色々な場の「間」を指している。(「利他とは何か」を読むといいですよ。)自分Aの世界は、私には〝頑張りすぎ、やらねばならない〟義務のように思える。

 1週間後の受診で、私は、主治医に言った。「リワークに行きたくないんです。」「行きたくないけど、復職のために、試しに行ってみる」と考えた方がいいですか?」

主治医は、「それはやめた方がいいと思いますよ」「〝本当は行きたくないのに行った〟時、それでダメだったとき、行きたくなくて行ったからダメだったんだということを検証する経験にしかなりません。〝行きたくない〟と感じるのはどうしてか、何があるのかは、森さん(わたしのこと)にしかわかりません。その違和感を大事にして、丁寧に見て、小さなステップを見つけるのです。

わたしは、「でも、リワークに行かないとすると、さらに復職までは遠くなりますよね。ものすごい距離に思えます。」と、言った。

主治医は、「復職がゴールだとすると、ものすごくたくさんの壁があります。その距離を感じるということが森さんには必要だと思います。」と言われ、診察室を出た。

 リワークに行きたくないというのは定まったが、具体的な道は見えないまま。そして、次の受診は2週間後。また、数日間考えた。もし、私が、自分を支援する支援者なら、〝ここのリワークがいい〟と思うリワーク機関がある。そこは、ストレングスモデル(その人ができることを大事にする)で、就労や復職が必ずしもゴールではない支援をしているところ。リワーク機関のHPを見る。「認知行動療法、セルフモニタリング、セルフケア、マインドフルネス」などの説明が並ぶが、私には、ワクワクしない、行きたいと思えなかった。

みうらじゅん的に生きたい・・

 ちょうどその時、みうらじゅんの「ない仕事の作り方」という本を読んでいた。

calil.jp

 みうらじゅんは、自分が好きなこと、それは何の価値をもたないように見えることも、究め続けてきた人で、「こういう視点で、自分のリワークを考える方がわくわくするよなぁ」と思ったのと、リワーク機関のHPに並ぶ言葉が、私には、正攻法でつまらないことのように思えてしまった・・。しかし、リワーク機関に通う=労働市場で生きることによせることであると思った。選ばないということは、労働市場で、自分のパフォーマンスや求められる成果を納品して、その対価で給料をもらうという世界の岸辺からますます遠ざかる方を選んでるんじゃないの・・。「しのごの言ってないで、リワークに行けばいいのに・・」「厨二病みたいな夢みたいなこといってんの」なんていう自分の声も聞こえた。そうした声を自分に向けるほどに、出口が見えない閉塞感が強くなっていった。リワークに行くことが、「仕事モードな自分A」で、同時に、他のところで「文化・哲学・思考の自分B」を確保していればいいので、リワークに何を求めるかであるとも理解していた。でも、行きたい気持ちが湧いてこない・・むしろしんどい、ハードル高く感じる・・

 リワーク機関に行かないで、リワーク的なことをプログラムすることは可能なのか?それよりも、自分でリワークプログラムを組むことはできないだろうか?例えば、どこかのNPOでボランティアするとか・・?と、具体的にどこでやるか、答えは出ていない。そうしているうちにまた、2週間の受診が来てしまった。

停滞している自分に気づく

 リワーク案件について悩んでいる間に、自分がもともとやっていた、役職は外れることになった。それは、休職は伸びるし、そうした方がいいと自分でも望んで申し出たことでもあった。そうした決定、メールのやりとりから「お前はもういらない人間」というメッセージを勝手に受け取り、不安や悲しみが増幅するスパイラルに入っていた。その状況は、3週間くらい続いている。そして、さらに、この先どうするか、ステップも見えていない。〝この状況をよくない、停滞している〟と、主治医は評価したのか、「抗うつ薬を増やしましょうか」という。しかし、「抗うつ薬を増やす」理由にピンと来なかった。「どうして増やすかわからない」「何かを変えられる、変わってしまうのが嫌」と伝えた。

主治医は、「違和感を大事にしましょう」と言った。次のステップも見えてこない、悶々とした思いで診察室を出た。主治医は、「停滞」したままと思っただろう。しかし、私は「停滞」しているとは思っていなかった。そうか、停滞していたんだと、主治医の言葉で気づいた。受診の帰り道、さっぱりした気持ちになっていた。そして、知り合いのNPOの人に相談してみた。「事務所のデスクで出勤トレーニングさせてもらえないでしょうか」と、相談した。快く協力してくださることになった・・!やっと次の道が見えたように思った。

支援のフレームに乗りたくないわたし

 自分なりのリワークのステップを見つけるのに、3週間もかかった・・私は休職前は、「リワークに行くといいよ」と言う側にいた。でも、いざ選択肢として挙げられると、行きたくないと思えた。

うつのせいもあるが、人間関係や場に対して敏感になっている。新しく出会う人と話したり、共に学び合うグループワークとかしたくないんだよね。自分の世界が脅かされる気がする。「支援」のフレームに乗せられるのは不自由そうな気がする。人の中で調整して生きていきたくないという、ワガママとも思えるもう一つの自分の声が聞こえてきた。

私がすんなり「リワーク機関」に行ってくれた方が、主治医や職場は安心するだろうと思った。そうした機関には、支援のフレーム、目的がある。私がそこに乗れば、目的を果たせる画が見えるからだ。自分のリワークという選択をしてみて、「自分のステップを自分で考えている時」の方が楽しい。すぐにリワーク機関に行く方が、近道かもしれないが、「道なきところを探求すること」が自分が大事にしたいことだと気づいた。その延長として、リワーク機関にかよって、フィールドワークすることもあるかもしれないと今は思っている。

 「支援されたくない」という利用者、相談者さんはこういう気持ちだったのかもしれない。今まで、「A型に行ったら?」とか、「B型に行ったら?」とか、「リワークに行ったら?」と、〝決めるのはあなたの自由〟というスタンスをとりながら結局は、支援のフレームに乗ってもらうことを無自覚に押し付けていたかもしれない。リワークを薦めたあの人のことを思い出して心の中で謝った。

プロセスは人それぞれ

月並みな言葉になるが、人それぞれなのである。リワーク機関の専門性やメリットを理解している。リワークで多様な人に出会うことがプラスに働く人もいるし、心理師さんや産業カウンセラーもいて、職場復帰を考える専門家のパートナーができる。わたしもいくとそうした気付きやつながりを得ることができるかもしれない。リワークに行くことがいいとか・悪いとかを伝えたいわけではない。主治医が言っていたように、「何が自分にとってのハードルなのか」をよく観る、自分に聴くことから、次の一歩は見えてくる。それは自分にしかわからないということだ。

対話と時間の経過の中で立ち上がる見えないもの

「先生、リワークに行きたくありません」と言ったのはどこから出てきた言葉なのか、見えない自分の心の中を探究していくような時間だった。自分なりの答えを見つけることができたのは、主治医とのやりとりがあったからだと思う。「支援とは〝支援者〟と〝被支援者〟との対話の中から立ち上がってくるもの」であると、本で読んで学んできた。主治医は、問いかけ、現状を見えるようにしていた。それにより、私は考えることになった。規定路線にはまらない、では、どうするといいかについて、主治医は答えをもっていない。立ち上がってくる見えない関係性、時間経過によって、私の中から力が湧いて、思考し、答えが見えてくる。それを実感した経験だった。