主語を自分にして言葉にする

 私が、20代からずっと生きてきたフィールドは市民活動やNPOやソーシャルセクター。自分がやりたいこと、感じていること、これが大事かもっていう哲学を自然に口にする場。自分の考えを言わないと、「自分(自団体)にとって不都合になる!」「自分でイニシアチブ取らないと、自分が大変になる!」という現場で、生き延びるために、自分で考え、話してきたと思う。それが私の日常。

 4年前に子どもを産んで、子どもが保育園に入り、保育園の父母の会という世間に出会って、自分が関わってきた世界は特殊だったのか・・と思わされることが多い。

父母の会をこんな場にしたい、この企画はこういう思いで企画した・・と、今年は、父母の会会長だからいろいろな場面で話す。

 そのようにコンセプトを伝えることはとても大事だと思う。

 市民活動と同じ、当たり前のように話していた。

 市民活動の現場なら「そうそう思う」「そうだよね・・私はこんなことしたいなと思う」と、こちらが投げたことに対して、自分の考えを話す人がたくさんいる。

 

 保育園では「わたし」を主語にしてどう思うかを言わない保護者が多い、うんもすんもなく、のっぺりしてるんだよなぁと思う。

 あ、そうかやはりわたしはここでは「変態」なんだったわ・・と思う。笑

 

その場が安心・安全に話していい場ではないということかもしれない。

また、思ったことがあってもそこで言うことに価値を感じないということかも。

意識が高い、意識が低いと姿だけで判断したいわけではない。

 「わたし」が感じていることと「あなた」が感じていることは違う。

 言葉にするのは、新しい対話を生み出すことになるし、自分にとって、他人にとっても意味があることだと思う。いい対話はそこにいる人の言葉でつくられていく。どんな言葉も大事な言葉、持ちよって成熟していくもの。多分、そう捉えてないということ。

言わないのか言えないのか、言う必要がないのか。どれなのかわからない。

送り迎えするだけの場所ならそんな必要もないよねということなのだが。

ある程度、自分の意思の元で集まった場でも「わたし」で話さないというのは、やはり全くの自由意志で集う、サードプレイスであるNPOとは違うんだろなぁ。

「言葉にする」というのも経験。思っていることを言葉にする経験をしていないと、できなくなってしまう。それができない、求められてこなかったという人が多いのかもしれない。それで人生の迷子や子育ての迷子になることもあると思うなぁ・・。

生きづらい明治社会

読みました。「生きづらい明治社会」松沢裕作 岩波ジュニア新書

あとがきの言葉がとてもよかった。
PISAの調査で、子どもの読解力が下がって、日本社会はおろおろしていた。どこかの国に負けるんじゃないかとか、国の競争力が下がるとか、そんなことしか考えてないように見える。本来、その読解力、言葉は誰のためでもなく自分を助けるためにあるものだなと、このあとがきを読んで思った。

・・・・・自分はそれなりにやかんとして人の役立つことによって幸せに暮らしていたのだが、ある日突然やかんの持ち主によって、電気ケトルを買ったので、お前はもういらないと言われるとか、水ではなくて爆薬を詰められて誰かに投げつけられたりするというようなことが起こらないとも限らないと思うと、ずっとやかんでいいのだろうか?という不安にかられたりするというようなことです。
・・・中略・・・
言葉を使って何かを伝えるということは、その内容を自分ではない誰かと共有するということです。歴史学とは、過去の誰かがおこなった何かについて、誰かが書き残した言葉を読み、それを現在の言葉によって現在の人々に伝えるということです。遠い過去の人たちもまた、ときに世の中のわけのわからなさの前におろおろしています。それを現在なお、わけのわからない世の中でおろおろしている人々の元に届けることは、世の中の複雑さ、わけのわからなさに立ち向かうときに、私たちが発することのできる言葉や理屈を豊かにすることにつながるのではないでしょうか。

 

明治時代をポジティブにとらえる歴史観

明治時代になると日本は近代化の道を歩み始めた、鹿鳴館ができた、欧米からの産業や文化が入ってきた・・明治の世の表現は明るいものばかりだった。でも、それは作為ある歴史観だった、自分はその中で、教育されてきたんだと気がついたのは、ここ数年。多分、網野善彦さん系の本とか?パオロマッツアリアーノの本とか?で知ったような気がする。

日本人が「伝統」と思っていることはだいたい明治の頃からなんだとわかった。それより以前は言葉も文化もバラバラに存在していた。それを一つにしようとした、多様性を排除したとも言える。
富や権力を持つ、体制側からの見方だったんだね・・
幕末の志士とか、明治政府の偉人をリスペクトしている経済人を見るとやっぱりそっち側、強者側なのかぁと思う。

 

クーデータによってできた明治政府にはお金がなく「小さな政府」


お金がないから「小さな政府」になる。その後、政府にお金が入るようになっても、それを再分配には回さず、軍備増強に回していた。
「通俗道徳」の檻の中に人々はいて、これは私の「努力が足りないから」だと思わされてきた。この通俗道徳は、歴史学者安丸良夫さんによると、江戸時代後期、市場経済が広がり、貧富の差が激しくなって行った時に、人々の規範を律するための基準として生まれたということ。
そこから始まっていたのかーーーーと、思った。

貧困やニート、非正規雇用の人、働けない人などに対して、「個人の頑張りがないから」個人の努力次第でなんとでもなると、できないのは怠けているから、我慢が足りないから。
生活保護バッシングとか、引きこもりの人を無理やり引っ張り出すことが行われていることとか。
新自由主義の現代の特徴なのかと思っていたらそうではなく、もっと長い歴史(長いといっても100年くらい)の中で生まれたものだった。

明治の世と人々が置かれている世界は同じではないか・・。

結婚をめぐる問い

読みました。「結婚」橋本治
橋本治さんを認識したのって、30代に入ってからで、「桃尻娘」の衝撃的なデビューとかを知らない世代で、「わからないという方法」が最初に読んだ本だったかなぁ。キャッキャッしてる女子、現代の結婚や婚活が描かれているこんな小説も書くんだって思った!その時々の社会の状況を見て変化し続け書ける多彩な人だったのだなぁと思った。もう新しい世界が描かれることはないのですね・・
 恋愛・結婚=競争・序列の世界

この本の主人公は、〝早く結婚しないといけない〟という思いにとりつかれて焦るけど、その結婚は一向に近づかない倫子、28歳。倫子は、結婚というゴールに到達するためには、必要な条件があり、条件に合う人を探す・見つける・結婚式をするのが「結婚」と倫子は思っている?思わされている?でもそうなのか?とも思ったりしている。就職活動はうまくいったけど、結婚はうまくいかない。何言ってるの?という周りの友達は、あっさり結婚していく。 

 

わたしは、結婚するとか、できるとか、誰かと付き合うとか、そういうことを考えることは、自分の人生の中にはないんだろうなーと、20代までは、思っていた。
恋愛は、こうしたら可愛く見えるという受け答えとか振る舞いが自然にできちゃうような人たちができるものだと思っていた。自分のような他愛のない世間話も、意味のない会話もできないし、何が面白いかわからないことで手をたたいて笑ったりもできない人には関わらない世界。連れていかれた合コンの2時間は、ひたすら評価の眼差しにさらされるのが辛い。目の前の人が自分のことを置物のように思っているということを感じながら、気まずい時間を過ごす。
 
「競争」のように見え、そこに入れないし、入りたいとも思わない・・。条件のいい人(背が高いとか、収入とか、シュッとした感じとか)をお買い物するかのような・・。
この本にも、私にとっては違和感しかない世界が描かれているが、これが恋愛で結婚。レースを勝ち抜くように「結婚」を手にいれる。異性愛者の女性はみんな、シュッとした爽やかな男性が好きなわけではないのに、明らかにこういう人がいい人という基準があり、その条件の中でしか人を判断しないというえげつなさ・・。
私はシュッとした、爽やかな男の人は寒気がするほど苦手・・みんながイケメンという人が本当に苦手。(かっこよすぎて恥ずかしいとかではなくて、生理的に無理!という感じ)
そうした多様な価値基準はない世界が恋愛・結婚の世界と思ってた。逆にそういう基準に乗っからないわたしも恋愛の世界に行く人ではないと思っていた。そんな観念があるようにも思う「恋愛」と「結婚」。その枠組みを外したら楽になれるのだと実体験としてわかったけど、それが結婚なんだとみんな思って、その中で、うまく進んで行く人も、はじかれる人もいる。
「結婚」とはこうあるものの中で倫子は彷徨う。
結婚って何?と言っている間に周りが結婚する 
結婚しよう!
でも、結婚って何?と倫子は考え始める。
私も32歳の時に「結婚」ってなんでするんだろ?と思ったわ・・。それを聞いても、中二病的な問いのように受け止められるだけだった。どうして結婚するのか?は考えず、最初から結婚するもんだと思って結婚していくものかもしれない。
私の場合は、結婚するなんて想定にはなかったため、自分のライフデザインもかっちり決めてなかったから(何才までに子どもをうむ!とか)、30代過ぎても大して焦りもしなかった。気負わなくてもいい、シュッとしてもいないモリソン知り合い、暮らして1年半が経ち、「結婚」しんの?という周り(親)の見えないプレッシャーみたいなのを感じたり、結婚してしまった方が親戚縁者や親はわかりやすいのだろうなと思った。
でも、一緒に暮らしていたら、もはや結婚しているようなものである。結婚がしたいわけではなかったため、わざわざ「結婚」という手間のかかる手続きをこの日にやるってのはなんだろう?結婚とは「家と家の結びつき」なんていう考え方ではない。わざわざ「結婚」をどうしてするんだろう。
結婚そのものをめぐる問いは世の中にはない。
どうやってみなさん結婚することを決めるんだろねって素直な問いに、なんでだろうねと答える人よりも、「あかねちゃんは結婚したいのね」と、マリッジブルー的な悩みを抱えていると思う人ばかりで、そうじゃないんだってば!と思った。
 
倫子や私のようななんで結婚するの?って考えないでも結婚はできてしまうものなのかもね。
倫子は最後の最後に、「結婚」と「人生」を別々に考えていた!!ということがわかり、自分の悩みが氷解する・・
そうか人生か!と思った倫子は、今度は、自分探しという方向に向かうのかと思わせて終わった。結婚も自分も、どこかにあるものではないのかもねぇと倫子を見て思った。
 
異性愛での「結婚」がテーマで、倫子の結婚しないといけないという思いの発端は35歳を超えると卵子が老化するという事実を知ってのこと。パートナーの子どもを出産するという想定でのことだったんだが、ここに同性愛者である主人公が描かれたら、どうだったかなぁと思った。
「結婚」 橋本治 
https://www.amazon.co.jp/結婚-橋本-治/dp/4087715663

世の中のテンプレートを疑う

とーちゃん会・かーちゃん会の違和感

保育園の世界では、とーちゃん会とか、かーちゃん会という風に、お父さん同士・お母さん同士で飲み会をセッティングし、そこから関係性を深めていくという方法をとるということが、一つの方法として脈々と続いてきたということを、子どもが保育園に入って知った。え、なんかそれって、違和感がある。

かーちゃん会をセッティングする。ママは子どもをパパに預けて、クラスのママと交流する。パパがいないところで、「ったくうちのパパは・・」などと話して、笑って楽しく過ごす。

とーちゃん会をセッティングする。日頃なかなか話さないパパ同士、男同士の話をする。家庭内で肩身が狭かったりするパパ同士肩を組む・・・。

というような画を、設定する保育園の先生たちは描いていると先生と話して感じる。受け止める保護者の方もそんな画を想像する。

それって性別役割分担が前提(例えば、夫は家事をやらないとか、夫は家事ができない、ママのがしっかりできる・・というような愚痴をママは言いたいであろう)が元になっている。

そうしたコミュニケーションでつながりたいとも、積極的に行きたい気もわかないんですけど・・。

私は、その人がどんな風にはたらき、日々どんな風に暮らしているか、何が好きかという物語に触れる、違う顔が垣間見えるような話が好きだから、そこに男女は関係がない。戦略として、「飲み会」を企画すると、現在の日本ではお母さんしか出てこない、だからとーちゃん会をやるという意図してやるというのもわかるが、男女共同参画とか志向している人たちがおかしさに無自覚でいいの?!

 

前提にあることを問うと引かれるのね・・

たまたま、割と仲良くなった保育園の保護者さんと、その話をしていて、とーちゃん会・かーちゃん会と分けることの違和感を話したら、「え?なにがだめなの」って伝わらない感じがした。

ジェンダー的にわたしは好きじゃない」って話したら、「ジェンダー」とかそういう意識高い系なことを言うのはまだ早いと思うよ・・とやんわり言われ、いやいや、遅いとか早いとかあるのか?

 

何かイベントや企画をするときにはターゲット、市場に合わせていくことも必要だけど、たとえ市場では、「とーちゃん会」として、実施することが一般的でも、今ある前提のおかしさを受け入れていていいの?「ジェンダー」を叫ぶ人はこうやって疎まれるのかと思った。

 

偏見という檻から自由にしてくれる=批評

わたしはこんな風に、テレビを見ても、新聞を読んでも、本を読んでも、人間関係や巷の何気ない会話の中に、「ジェンダーもやもや」なことにたくさん出会い、日々怒ったりしている。

そうした事象に飲み込まれるのではなく、客観的に捉えるのが「批評」ということだったのかーーーと、北村紗衣さんの「お砂糖とスパイスと爆発的な何か」を読んで、わかった。

「批評」って、難しく難癖つけることみたいに世間では捉えられているようにも思っていた。きちんと見る方法が確立されているのが批評理論。

あとがきの、「私たちはフツーに生きているだけでいろいろな偏見を身につけてしまって、檻に入ったような状態になっています。」「私を檻から出してくれたのは文学とフェミニズムでした」という言葉に共感し、批評というツールを持って、世界の中で立つことができるのかとわかった。

38年も生きてきたのに、そんなことも知らなかったなんてーー。

自分には受け入れがたいこと、自分が好きではないもの、嫌な感情にであっても、それがどうしてなのか。

批評という方法を自分のものにすれば、見え方も変わるかもしれないと思う。

「お砂糖とスパイスと爆発的な何か」北村紗衣

書肆侃侃房

https://www.amazon.co.jp/お砂糖とスパイスと爆発的な何か—不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門-北村紗衣/dp/4863853653

にんげん図書館の振り返り

1月12日は、にんげん図書館の1年の活動の報告と集まった方がやりたいことを話す会。
図書館と市民活動・まちづくりをつなげる取り組みを、図書館×地域ラボという看板で行うことを、寄付・助成金等をいただいてやってみようということで、1年間(2018年10月からの1年間)取り組んだ。今回は、助成金と業務委託と寄付を組み合わせて実施ができた。ご寄付いただいた皆さんありがとうございました!
にんげん図書館を始めた経緯・・・遡ると子どもの頃

遡るとわたしは小学生の時に図書館司書、特に学校司書になりたいな・・という夢を持っていた。学校ではお友達がすぐにできたり、友達と楽しく話したり、関わったりできるタイプではなかった。教室にいることが苦しい時、誰もいない図書室に行って、薄暗いところで一人で本を読む時間にとても癒された。近所に児童書専門店があったのもあり、子どもと本をつなぐ人の存在が身近にあった。本の世界へと誘ってくれる人がいたらいいな、自分がそういう人になりたいなと思った。 

そして、児童図書館員になるなら大学では保育を専攻しようと思って、保育系の大学に進学した。子どもの文化を担っていくいく人になりたいなと考えるようになった。子どもの文化のことを考えていたら、「文化・物語・ファンタジーの世界が、辛い時に乗り越える力となる」という言葉に出会い、自分も本の世界に助けられたように、言葉を持つこと、文化は子どもだけでなく人を助けることでもあるのかと思い、そこに貢献する図書館司書になりたい、図書館司書しか描けない・・・・!!!と強く強く思っていたのが後に自分を苦しめた。

ところが図書館司書にはなれなかった、挫折。

大学生の頃、図書館司書、専門職として自治体の図書館の正規職員として働いていきたいと思って、職業図書館員が集まる学習会に入っていた。この時に出会った図書館司書さんたちは今も一緒ににんげん図書館で企画をする仲間であったりする。

しかし、倍率は100倍という難関。何年もかけて図書館の正規を目指す人も多い。今でこそ問題になっている官製ワーキングプアも、わたしが大学生だった2000年代、図書館は非正規雇用中心の世界になりつつあった。保育士や幼稚園の先生というゴールを目指す人しかいない大学。次第に孤立感を感じるようになり、だんだん授業に出るだけで息が苦しくなるよういなって、そして学校に行けなくなってしまったのが大学4年生の春。しばらく授業を休むことにして、休んでいる時に行ったのはいつも図書館だった。

突然息が苦しくなったり、涙が出るのに図書館で詩を書き写していると楽になる!!!という自己治癒方法を発見し、そしてまた図書館が苦しい人には必要であることを実感する。普通なら精神科に行こうというようなことなんだけど、図書館で元気になってしまった。その後、夏の夏期講習で図書館司書資格を取る。その後、大学に行けるようになり、図書館司書になります!と言い、大学は就職先がないまま卒業した。しかし、卒業後、途方もないことを追いかけ続けるだけが方法なんだろうか・・?と、図書館司書になるための公務員試験をやめてしまう。まずは本のあるところで働いてみよう!と思って、本屋さんのフリーターになる。

本屋の世界での楽しさと不安

本屋さんの世界もとても楽しかった。当時はサービスカウンターという「本を探し、売り場にない本を発注する」客注専門のカウンターがあった。そこでお客さんのために本を探すレファレンスのようなことをするのがわたしの役割で、「やったーーー!」と思った。わたしは図書館司書のようなマインドを持っていたため、うちの本屋にはないけど、この本はジュンク堂さんならあるかも・・とこっそり言ってみたり、これは図書館で探したほうがいいとか、本の検索の方法をカウンターで教えたり・・。棚になかったらそれで終わりと諦めるのが普通で、そこまでやらなくていいよ!ということもやっていた。

ぼんやりしたニーズからお客さんが欲しい本を特定していく仕事を楽しくやっていた。

しかし、本屋さんの世界も非正規雇用に支えられる世界。時給900円のフリーターは、社員と同じように本、売り場を熟知していた。なんなら社員より売り場、棚をさわってるからどこに何があるか頭に入っている。60人の昼・夜アルバイトに対して社員は10人。その社員さんはいつも疲れているように見える。このままわたしはどんな未来を描いていくんだろうとぼんやりとした不安があった。

ニューヨーク公共図書館との出会い

そんな時、ニューヨーク公共図書館を描いた岩波新書の「未来をつくる図書館」にであった。

図書館は、あらゆる人々のための情報をコーディネートしていく場所。主権者である市民、市民による民主主義、それを支えるために、市民や行政を支援していく図書館としての機能。この図書館はNPOという方法で運営されている・・。当時NPO社会起業家が出てきた時で新しい潮流となっていた。図書館や本の世界から一度離れてみようかなと思い始めた。NPO法人で働いてみると、自分が図書館と関わる上でいつか、何かできるのではないか??と思って、働けるNPO法人を探し始めた。

 

NPO法人で働く

求人を出しているようなNPO法人は同時(2005年ごろ)はあまりなかった。そして、大学を卒業してフリーターしかしたことがない、社会人経験がない、第二新卒である・・そして頭の中は図書館のことしかない・・こんなわたしが就職活動して、厳しそうな企業で働ける気がしないと思っていた。NPOは優しくしてくれそうというよく若者が抱く勘違いを抱いており、甘い考えもあった。社会に優しそうに見えても、自分に優しいわけではない。笑

そこでたまたまであったのがNPO法人アスクネットで、うちで働いてみない??と誘われ働いてみた。

地域と学校をつなぐコーディネーターとして働く。

行政や企業とも仕事をする大きなNPOで、ここで多種多様な人とプロジェクトを行うことを実践しながら学んだ。企業、市民活動、NPO、行政など、多様な主体が参画して子どもの学びをつくる。つくることを通して、教育のあり方を分かち合う、それが変えていくことになる・・・。

図書館のあり方の伝わらなさ

図書館の世界で言われていること、図書館の機能や役割はちっとも市民には届いていないことを、市民の側にいて感じていた。

図書館=文学、本というイメージを多くの市民は持っていると思う。本を買うのか、借りるのか、お金が発生するかしないかでしか見ないとただ本を借りられる箱モノ。売れない本も絶版になった本も昔の資料も、行政の資料も、何かを学びたい、知りたい人のために体系的に揃えているのが図書館という場所。人の人生の楽しみ、人が人生を通してやりたいこと、仕事・・それら全てには「情報」との出会いがある。知ることとの出会いを創出するのが図書館という場所。そのための「資料」は本屋さんでは事足りないものもある。その価値を享受するのは地域社会を構成する主体(行政とかNPOとか企業とか)と生きる人々。わくわくする、元気になるような「知」と出会うことで、誰か一人をエンパワーする。すなわち、社会全体のエンパワーとなるのではないか。そうした図書館のあり方を、社会全体で共有したいと思う・・という話がまわりの人には通用しない!!!「伝わらない」って言っているより、一緒にそれを「体験」「共につくること」が大事だと思った。

そして、それが伝わらないという、図書館関係者の閉塞感のようなものも図書館関係者の集まりで感じた。

 

コーディネーターとなる、参画の場をつくる

コーディネート、参画する場をつくるということは図書館に置き換えると活かせるのではないかと思った。

本を取り巻く多様な主体(書店や図書館や出版業界など)とその価値を享受する主体、人々が、本というものの価値を共有する、一緒に体験をすることが大切ではないか。そもそも本なんていらないと言われる時代が来るのではないかと思っており、社会全体が「本と人が出会う場」がある価値を共有することが大事ではないかと思った。

自分が出会ってきた図書館関係者をエンパワメントすることは、図書館という組織を地域社会の中で成長する有機体として育てていくことにつながる。そう思って、図書館の人と多様な人が出会う場をつくろうと思って、小さな集まりを始め、それをにんげん図書館と名付けた。

にんげん図書館の取り組み

自分の行動する理念には「身の丈」というものがある。

身の丈に徹するからこそ見える。育っていくコミュニティもある。組織から飛び出す図書館関係者と出会って、その図書館員さんをゲストに招いた企画や、読書会などを細々と2012年から続けた。

2017年ごろに「ウィキペディアタウン」という企画を図書館と共催で行うようになる。ウィキペディアタウンは地域の歴史や文化について図書館の資料を活用し、ウィキペディアに編集するというもの。

ウィキペディアには、独自研究は載せない(わたしはこう思うという主観)中立的な観点、検証可能性があることという編集方針がある。

つまり、ちゃんと記事を書こうとすると図書館を活用する必要がある・・

そんなわけで全国の図書館で実施されているイベントで、公共図書館といつか一緒にやりたいな・・・と思っていたことが2017年ごろからできるようになる。図書館と共催なんて夢のお話!と思っていたら、「こんなことをやりたいのだけど・・」と相談でき、図書館と一緒に何かをするということができるようになる。

実施して気づいたこと
ウィキペディアタウンのような大きなイベント(30人規模とか)では啓発にはなるし、裾野を広げる機会としてはいいけど、主催者側・お客さんという関係性になり、情報を消費するような形になってしまうということ。(例えば地域の歴史や資料に触れて、へー!とは思っても、それを受動的に利用するような立場にしかならないみたいな)もっと小さなコミュニティ、継続的な場というのが必要なのではないかと感じていた。
 
ウィキペディアの記述にある要素は、「調べる・読む・異なる情報から文章に統合、編集する・ウィキペディアに書く」ということ。
ウィキペディアを記述するITスキル、ルールに目がいくのだけど、調べる・読む・編集というアナログスキルが大事なスキル。それらを小さく切り出して、学習するような場。
それは図書館主催では維持できないし、「市民がつくる」というコンセプトからも、市民でこうした場をつくっていくのがいいのではないかと思った。
 
あとは、イベントを運営すると、次のウィキペディアタウンの実施を考えている図書館や自治体の方が参加していて、そうした機会が求められているんだなぁとか、個別にどこどこの図書館の人が興味持っているからつなぎたいという連絡をもらったりすることもあり、実践を共有し、人や組織がつながるプラットフォームのような場が必要であるなぁと感じた。
ネットワーク、プラットフォームの必要性 

ウィキペディアタウンを図書館と一緒にやるようになったのは、3年前からなんだが、自分一人でやってることの限界と、取り組みを行う人や組織がつながらないことによる機会損失もあるなぁ、なんかもったいないな〜というのをずっと思っていて、どうしたらいいかな?と思う時に相談に行く、起業支援ネットさんに相談にいった。どのような形がいいかを考えたのが、2年前?

 

その時に言われたのが、個人の自発的な意思で入る場にすること(例えば、こういう担当になったから入ったほうがいいと言われ、入るとか、誰か権威のある人が入ったから入るみたいな形にしない)

 

研究・調査・実践・交流・学習・・・でつながる場にすることというのを構想していた。それって、日本図書館協会みたいだね?!と言われ、なるほどそうか。日本図書館協会に喧嘩を売るわけではないが(笑)小さくてもエッジがかかり、多様な人々が集う実験場のようなところにしよう・・・。

東海ナレッジネット(仮)としての活動

一緒に企画側に回る人も見つかってきたというわけで、名前を仮で決めた。分かりやすくて、公共性が高い名前がいいということでこのような名前に。そして2020年春に正式立ち上げ予定で準備を進めている。

やることは、ウィキペディアタウン・エディタソンの企画実施と、実施したい図書館や自治体の運営支援、それらの実践の共有・学びあい。図書館を含む地域の知を担う人々が、自発性の元につながり、出会って、お互いの課題とニーズを知り、何か新しいことをする(かも)

 図書館の人、いろんな人のエンパワーメント 
今年でにんげん図書館を始めて8年目になるのだけど、そんなに続けるとだいたいマンネリ化するか、飽きるか、しぼんでいくかなんだが、飽きないし、むしろやりたいことは増える。「身の丈」を大事にしているからかなと思う。
 にんげん図書館やるときに思っていたのが、図書館の人のエンパワー、元気になる場所をつくりたいということ。
 エンパワーは、多様な価値観に出会ったり、自分の芯に触れる思いに出会ったりするときに起きる。そういう機会をつくりたい・・と思っての企画だったんだが、東海ナレッジネットもそれは同じであるし、共感・共創する人がたくさんいるから、さらに楽しい世界が見えそうである。

産後ヘルプは子育てのヘルプではない

 夕方、先月第二子の赤ちゃんが生まれた友達のお家に野菜と作った夕方つくったおかずを持参〜。
ついでにちょこっとお家でおしゃべり。

 赤ちゃんの授乳とげっぷをさせてもらった・・・!
 すげー懐かしいこの感じ。4年経つとだいぶ昔ですわ。。

 

「子どもと自分だけ」のときの部屋の空気と、他に誰かがいるときの部屋の空気って、軽くなる、違うよね〜と話してた。「産後ヘルプ」は、子育て経験がある人でなくてはとか、女の人でなくてはとか関係ないのだわ。

私が、2016年に我が子、さとちんを産んだ頃は、里帰りをしないで、社会資源と夫・友人・知人・親のソーシャルキャピタルに支えてもらう産後を過ごしたく、私が自分で家に呼んでいた(笑)産後ヘルプの人たちは、NPO関係の知人(男の人)もいれば、子育て経験とかない人もいた。

子育てをヘルプする人なのではなく、「外の風を運ぶ人」なのだよ産後ヘルプ。

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産後ヘルプとは・・産後のお家に家族ではない人がお家に行くという取り組みで、市民活動やNPOで取り組んでいるところもある。お互い助け合うことを広めようというもの。

産後・特に産褥期は家族団らん、他人は入らないもの、他人は入っちゃいけない遠慮というものがあるのだけど、そうした思い込みによって、子育てをする人が孤立を深めていく。また、産褥期は身体をしっかり休める時期でもある。

 赤ちゃんが生まれ、赤ちゃんの顔を見に行く、ケーキを持っていくお客さんとしてではなく、ケーキよりもおにぎりを持っていくこと。

 上の子と遊んだり、一緒にご飯食べたり。洗い物、よかったらやるよーと言ってみたり(どこまでやるかは関係性による)ちょっと顔を出す感じの助け合い。

 そして、手が足りないことがあれば手助けをする。

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 そして、友人には、夫さんが遅いときは保育園帰りのさとちん連れて、ついでに夜ご飯も一緒に食べよう〜と提案してみました。「いいよ、ありがたい!」というわけで、ますます楽しいご近所の関係。気合の入ったおもてなしではなく、レトルトあっためて食べるとか、そんな気楽なご飯でできるといいな。

 

こうやって言えるのも、突然行ったら迷惑かな?家に行ったら気を遣うかな?おかず持って行ったら気を遣うかな???というお互いの遠慮という壁をお互いがちょっとずつ超えているからなのと、お互いに「変な気をつかわない」ため。

 もらったからお返ししなくちゃとか、家がぐしゃぐしゃだから綺麗にしなくちゃとか、持っていくおかずは手作りしなくちゃとか、会う時は化粧しなくちゃとか・・・そう思われないように自分がハードルを下げる。あ、でも、なんでも助け合おう!それが美しい、正しいと押し付けるわけではなく、人にはそれぞれにパーソナルスペースや価値観、大切にしていることは違うから、それは嫌だな・・と思う人、思う気持ちも大切にしたいと思ってる。

 

「こういう関係って素敵」でも、どうしたらできるかなぁ。でも、最近はご近所の関係も希薄・・なんて言っているだけではなく、自分の中にある壁をちょっと超えて相手に聞いてみる、言ってみることでしか始まらないのだと思う。それが少しずつ社会を変えていくのではないかと思ってる。なので、どうしたらこういうことができるかなと思ったら、例えば子どもと過ごす休日、「今日は雨だから出かけるところに困ったな」と思ったら、雨だからうちに来ない?行ってもいい〜?って聞いてみたらいいと思う。以外と相手もそうした声がありがたかったりする。そういうところから少しずつ、始まると思う。

 

 

世間と社会の違い

わたしは、社会は、今、わたしがここに生きて立っている場所と思っている。

その最小単位は家族との関係や、人と人が集まる場全てが社会だと思っているのだけど、どうやら周りの人はそう思ってないらしい。

なぜ、言葉にしないで忖度しあったり、仲間外れにされるような息苦しい場が多いんだろう。

人それぞれだよねっとか言ってるのに、人それぞれに歩く自由、歩かない自由を認められないんだろう。

人それぞれが持っている権利を大切にできず、わたしとあなたは同じでしょという押し付けの暴力はどうして、生まれるんだろう。

ちっともジェンダーバイアスやハラスメントがなくならない。

生きている場所の呼吸がしにくく、生き生きできない場所をなぜ自分たちで作り続けるのか。自分のその周りの場(=世間)は社会であり、自分たちでつくるものなのに、そうではないという風に無自覚に思ってるからなんだと、阿部謹也さんの本の一節を思い出した。日本に住む人は長い間、「世間」で、生きてきて、それはとても根深く引き継がれているのだと思った。


「世間とは何か」阿部謹也 講談社現代新書
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世間と社会は違う。

社会は明治以降、文章の中で使われ始めた。

(明治10年代にsocietyの訳語として社会という言葉がつくられ、individualの訳語として個人がつくられた)

西欧では「社会」の前提に「個人」がある。

個人は尊厳を持っており、その個人が集まって社会ができる。個人の意思に基づいて社会のあり方も決まる。

日本の場合、世間は個人の意思によってつくられ、個人の意思でそのあり方も決まるとは考えられていない。

世間は与えられているものとみなされ、欧米流の概念では説明できないもの。

世間を構成する2つの原理

・長功の序

・贈与・互酬

こうした要素から、世間とは、差別的で排他的にもなる。

世間とは、「非言語系の知」の集積

これまで世間について論じた人がいないのは、「非言語系の知」を明らかにする必要がなかったから。