教えなくてもいい。

我が子、ただいま2歳8ヶ月。

少し前に、いとこのなおくん5歳がはさみを使っているのを見る。

やりたい!!やってみる、難しい・・。

そんなさとちんを見ていた、ばあちゃんが、2歳児から使える危なくないハサミを買ってプレゼントしてくれた。

 

ハサミをもらった日、まさに寝食を忘れるほど、夜ご飯の時間になってもご飯食べずにハサミで紙を切ろうとしている。

お風呂でて、裸ん坊のままハサミをすぐに手に持つ。

2歳の手の使い方の発達度合いではハサミでチョキチョキスムーズに切るのは難しく、紙を挟めるけど、切れる角度で歯を入れる・・ということがなかなかできない。

「やって〜」と私に助けを求めるも、求めてみるけど、やっぱりイヤだ!と、ハサミをポーイと投げつける・・。

でも・・何度やっても切れないのに、アラ、切れた・・!もう一度切れた!というのが10回に1回くらい訪れる。

 

また別の日には、とーさん、かーさんが使っている箸に興味をもち、「やってみたい〜」となる。

こども用の箸あったなぁとごそごそ探して渡す。箸もハサミと同じく難しい・・。

 

とーさんや、かーさんのようにできない、もどかしい。

もどかしいから、「やって〜」という。

こうやって持つんだよと手を箸とセッティングする。

やってみる、できない。

やって〜。イライラ・・ポーイと投げつける。

しかしやっているうちにまぐれのように掴めたりする・・!

できない・・イライラ、ポーイ。

そんなことを繰り返しながらも正しい持ち方ではないけど、2歳児のさとちんなら、ここまでかな・・という持ち方で持って箸を使ったり、スプーン、フォークを使ったりしている。

 

人間の発達は数ヶ月という単位でできることが切り刻まれて決まっているわけではないのだと思う。でも、歯が生えるのは何ヶ月だの、離乳食は何ヶ月からだの、ハサミは何歳からだの、箸は何歳からだのと全てスケジュールが決まっているかのように親が思わされているのもある。

 

そして、そこに間に合わないと困るから教えないといけない、親が〜してあげないといけない・・。子育てに関する様々な便利グッズや教育教材や〜教室など、子育て産業は、それらを使わなければ子どもは育たないかのように迫ってくる。

お箸も補助具的なのはあるけど、さとちんが必要としてないならいらないのではないかと思う。お箸一つとってもそうした補助具を使わないと持てるようにならない?そんなわけない。お猿さんから人間になる、道具をもち、使い始めた頃、助けてくれるものは何もなかったはず。

 

親がこどもにたいして、レールを敷かないとダメなのよ!ってセリフは巷で聞いて親になった。親またはおとながこどもに教えないとダメ・・と思ってしまうのはどうしてか。こどもが欲しているのではなく、突き詰めると親、大人の不安からなんだと思う。

子どもがどう育つかなんてわからないのが当たり前。不確実なことへの不安。

形のないものへの確証がほしい、コントロールしたい。

それを子どものためとか、子どもの意思にすり替えられたりすることはアルアルなのだ。

 

さとちん見てたら、教えなくてもできていく。

それを早く、近道でできるのがいいことでもない。

ハサミもお箸もうまく使えないけど、使ってみたい、できるようになりたいと思ってやること、その小さなチャレンジが大切なのではないかなぁと思う。

自分に返すと自分(おとな)だってやりたくないことはやらないし、やりたい!という気持ちで動いているのに・・?

 

 子育てについてのいろいろというのは、誰かを批判するようなこと、私が正しいのよ、本質わかってんのよ・・みたいな風に受け止められてしまいかねない。

なかなか思ったことを発しにくいと感じる。

 

新しいグッズを使ったり、何かこどもに教える、与えることが悪い・いいと言いたいわけではない。自分のこどもを見てみるとわかることってあるねという自分の気づき。