システムリーダーズ実践コミュニティ DAY4 ビジョンとは温かい、じんわりするもの

【システムリーダーズ実践コミュニティ DAY4 ビジョンとは温かい、じんわりするもの】
DAY3の振り返り書けなかった・・本日で基礎編も終わりということで、半分まで来たので、もう終わりに向かっていくのねーーーとちょっと寂しい。
ビジョンとかリーダーシップとかっていう言葉、「上から指し示すもの」「上からの力」「高い目標」という「自分」の中にはない、遠くにあるものと世間では思われているように思うが、そうじゃないというお話の会だったなぁと思う。 ビジョニングとかビジョンってググると、会社組織が出てきて、市民活動色の強いNPOにそぐわない・・
「えー茜さんがビジョンとか言ってる」などと言われそうで、ビジョンなどという言葉は使わないように慎んでいた・・笑
ビジョン=願い 深く願っている思いとか喜びとか、強いものではなく、温かい身近にあるものと、捉え直しすることになった。
▶︎印象に残ったお話
問題解決とクリエイティブであることは違う
この前のさとちんのお悩み相談は、問題解決とクリエイティブがどう違うのかがよくわかる事例だったと思う。
クリエイティブは元々の意味は、「存在させること」で、学習(ここでいう学習は広い学習、生きること、暮らすことにある学習)を通して、願っている状態を作り出す、存在させること。
「おしゃべりが上手にできない」という相談に対して、おしゃべりが上手にできるようになるための方法(ソリューション)を考え、おしゃべりできない問題を解決することが本人の願い、ビジョンではなかった。
おしゃべりできるようになるための解決を考えることで、さとちんの涙が止まり、元気になるようには全く思わなかった。
結果、「問題」と本人が思っていることを解き明かしていったら、元気になっていき、問題は解決していないにもかかわらず、「明日も保育園に行く」「おしゃべりできる方法はわからなくても大丈夫」と、力が出てきたし、問題解決できてない、ありのままでも大丈夫と思えるようになっていて、まさにクリエイティブな状態。さとちんにとっての願いは、「保育園が楽しい、行きたいと思えること」だったのですよねー
なので、「問題解決の方法を考えていると大事なことは見えなくなる」と福ちゃんが話していた通りのことが起きていた事例だった。
でも、支援の現場だと、本人の願いは違うところにあるな・・と思っても、その願いにまでは至らないということがよくあるなと思った。
例えば、子どもについての親の悩みの相談なんかだと、「子どもの願いは違うところにあるね・・」ということもある。「解決してほしい」オーダーに答えることを相談に乗る方に、求められている場合なんかもあるだろうね・・親と子どもという関係の中で、「問題解決することが喜び、子供のため、親の喜びである」となっている・・
被支援者が逸脱する行動をしまくる、どうしたらいいんだ・・みたいな場面もある。その時の支援者がなんとかしなくてはとか「こんなことを許していいんですか」という声を聞く時に、被支援者の問題を解決しないといけないと支援者が思っている・・そうじゃなく、支援者が困っているってことなんですよね?って思うけど、そういう問いというのはなかなか入らないなんだよなと思う。
そうした問題を取り違えているままで進むことにモヤモヤする私のメンタルモデルがあり、自分に向かってくるんですね。。
自分の思考のクセ(メンタルモデル)に気づいて、問題をシステム(関係性とか場とか経過とか)で捉えるための考え方、以下2つの方法をこの間で学んだ。
「推論のはしご」:何かあると、こうなってああなって、どうせこうなる・・とすっ飛ばして思ったり、行動する自分のパターンに気づくためのフレーム
「ループ図」:問題だと思っていることを分解していく。
これを携えて、自分の日常を豊かに生きていくための場がこのコミュニティ。システム思考を学ぶと自分が遭遇することへの見え方、解像度がが変わるなぁーと思った。もう始まる前の私には戻れないといいますか・・
図書館や情報と人や社会にどう関わるかに関心があるので、図書館の課題解決支援とかビジネス支援とかにも想いを馳せた。
「問題解決のためのソリューション提供は、クリエイティブな状態を生み出さず、副作用として、問題が見えなくなり、不安や恐怖によって問題に向き合うことになる」という講師福ちゃんの話を聞いていて、この時のソリューションは、図書館では情報となり、課題解決のための情報支援じゃなく、自分の願い(ビジョン)につながる情報支援、図書館のあり方ってーというのを図書館の人と話したくなった。
私自身が、これまで図書館の空間そのものには、自分の内省とビジョンに触れる場所として関わってきた。
忙しい世の中で内省できる唯一の場が図書館ではないかと思っているので、課題解決支援しないサービスとして、瞑想できる空間提供もありなんじゃないかとさえ思った。