母から口癖のように何度も言われることがある。
「あなたは苦労してきたから、あなたは我慢してきたから、ごめんね」と言われるけど、私は何にそんなに我慢して、苦労したのか・・謝られるほどの実感がない。
母のごめんねは、多分このこと・・。
例えば、成人式に私は、着物をきなかった。
理由:綺麗な格好がしたいという興味も薄く、着物を着ようという気にならなかった。
周りの友人は成人式前の1年以上前から前撮りのことや着物はどんなものにするのかという話題で盛り上がっていたものだったのだけど、私は早起き、めんどくさいなぁ・・と思っていた。
例えば、大学3年生の春休み、免許を取りに行かなかった。大学3年の春休みにみんなは免許を取りに行き、そのお金は親に出してもらっている子が多かった。
理由:今、車が必要ではない。免許を取る時間とお金を使う必要がないから、取りに行かなかった。
例えば、結婚式をしなかった。
理由:成人式と同じくな理由で、結婚式のために時間とお金を使う気にならなかった。家族だけのお披露目会にした。
そして、今は、ボーナスがあって、家や車が買えるような給与水準の一般的な企業に勤める働き方もしてないし、そういう人とも結婚しなかった。
なので、母からすると「苦労をしている」と余計に見えるのではないかと・・。
一つ一つが母にとっては、親としてやってあげたかったこと。
私は私の意志で選んだこと。結婚式はパートナーとの決めたこと。「やらない」と決め、私が望んだこと。
何度も言っているけど、「アンタには成人式も結婚式にもなんにもしてあげられなかった・・」と何度も言われる・・。
私は、「自分で選んだことだからそんな風に思っていないよ」と、伝えるんだけど・・。
親としてそうした場面で子どもの成長を目を細めて喜ぶ・・ということを理想として描いていた。それをしたかったということなんだろう。
目に見えることをしてあげる、何かを与えることが愛情とも、それだけが幸せと思わない私の価値観と、母の価値観が違う。
母にとっては成人式には着物を子どもに着せてあげる、結婚式のお金を出してあげる、免許を取りに行くお金を出してあげる・・子どものためにしてあげるという愛情だったのかもしれない。子どもに対する後悔をずっと抱えている母。
その母から、言葉をいつも受け取る私はそれらの言葉に、重い気持ちになる。
自分が選んだことで、自分のこれまで37年間は楽しく、幸せな色のものだったと思うんだけど、そうではない色に覆われてしまうようである。
うーむ・・これまで、そこまで親を慮っては振舞えなかったけど、母のほんとはやりたかったことをやっていたら、このような重石を受け取らずに済んだのだろうか・・。