こども3歳のお誕生日に寄せて

仕事でもなんでも3年やると一区切りだなぁと思う。

3年続けると次のフェーズに行ったり、仕事がわかってきたり。

こどもを育てるのも3年で次のフェーズに行くんじゃないかな~と

思う。あと3年経ったら小学生、もうすぐオシメが取れる。

赤ちゃん的なお世話はなくなっていく。

 

友達の出産報告や大きなお腹を見ると、あああの小さい赤ちゃんを抱っこ

できることはもうないのだなぁと心がギュッとなることがある。

 

こどもは2人、3人となるほど母レベルは上がる?

 

1人はかわいそう、もう1人産まないの?みたいな意見に出くわすこともある。

通りがかりのおじいちゃんにさえ、こどもは3人産まなかんよ~とニコニコして

言われることもある。

「こどもは2人が前提、当たり前」がその人の頭の中にあるんだなぁと言葉から感じることがある(大概悪気はないから気にしないけど)

 

 

母となり、一旦こどもを一人持つともう一人・・そして、こどもは育てれば育てるほど母レベルが上がるという見えない考えが漂っているということを知った。

「1人の頃より楽になった、さすがだね〜」まぁよくある会話。

確かにそれはそうなんだと思う。

母という属性でアップデートしていくばかりの生き方だけでもないはずなのに。なぜか何人産むのかがそこでは視点の中心になっている。1人でごめんなさいとなぜか思わされる、1人であることに理由をつけなくてはならない気分になる。

 

私の夫モリソンのキャパ的に1人で十分。

家族ごとにちょうどいい経済的、精神的なサイズがあるのではないかと思う。

こども2人いたら、モリソンはモリソンが自由にご機嫌に過ごせなくなるだろうなぁということがわかってきた。それは家庭内の環境にも関わるだろうと気づいた。

そりゃ、こどももう1人、赤ちゃんをもう1クール育てたいな・・とか思ったこともある。

でも、森家は3人チームでいく。

夫のために我慢したとかそういうことではなく、我がチームの最適なサイズという結論。

 

その家族にいる人がわかる感覚だと思う。

それにもかかわらず、そんなことをいうと、「産んでしまえば夫は慣れる、どうにかなるもんだよ~」と、夫をマッチョに鍛えていくようなベクトルのことを言われる。

自分の感覚は置いてかれる。

「こどもは1人より2人の方がいい。そう思うものだ」

という価値観があり、その家族の精神的・経済的サイズよりもこども二人は何よりも優先なのか?!と思ってしまう。でも、無自覚のうちににじみ出る価値観で、悪気はない、他愛のない会話だから気にしない。気しないけどモヤっとする。

 

知的なわくわくを元に冒険する。

 

こどもを持つ母同士のそうした子育て、子育てと働くことという視点中心の世界にいると、時に苦しくなる。母である人の人生には子育てと子育てしながら働くということしかないのかよ!と。それは一つのレイヤーで全てではない。

 

一方で、私が主催しているにんげん図書館、本を通した集まりや、町歩きをして何かを調べたりするところで、そうした話題に当然ならない。

母である人に出会う確率が非常に少ないのもあるかもしれない。

 

ただ、みんな次はこんなところを歩きたいねとか、街の中のなんでもない公園の調べ方を考え、わくわくしている。面白い本を読んだ話しを楽しんでいる。

 

いつも集うあの人もこの人も、結婚しているのかとか、彼女や彼氏がいるのかなんてはなしはしたことがないし、それぞれの仕事もよく知らない。

知的にわくわくすることを接点につながっている。

その知的なわくわくさえあれば、冒険する場所は尽きないように思う。

松葉公園町歩きしたら、次は道徳公園に行ってみようかみたいなこと。

 

こどもを持つ母同士で語り合う場に対して否定的ということではなく、それを求めている人もいるし、必要な場なんだと思うけど、それも一つですよねと思う。多様な女性が集まるとはいえ、母という意味では同質性のある場所だと思う。「同質」ということに世界の狭さを感じてしまう。あ、でも、母である友達もたくさんいて、それは母になったから出会えたわけなんだけど。

 

こどもが1人とか2人とかではなく。

こどもが1人だろうと、2人だろうと、その子にとっての関係性と環境に目を向けていたらいいと思ってる。「こどもは社会からの預かりもの」という言葉を聞いて、私もそう思って子育てして、自分の人生を生きようと思った。

 

社会で生きていくまで、社会から預かっているもの。

その預かってる間にどんな人に出会い、どんなことを好きになるのか。

親も環境の一つであり、すべてではない。

 

もしかすると、高校は県外や海外に行きたいなどと言えば、あと10年くらいかもしれないし、高校卒業して就職するなら、あと15年くらい。

赤ちゃんから3歳が終わり、次の段階にいくと、そんな世界も想像したりする。

 

そして、こどもが一人ということは、子どもを2人、3人いる人より身軽に

誰かのお手伝いができるということ。赤ちゃん産む友達のうちにご飯を運ぶことも話しに行って外の風を運びに行くこともできる。

こども2人産まないからできることもあるんだよなぁと思う。

 

様々な世の中と私との違和感は「共同幻想」であると自覚し、子育ての季節が過ぎる切なさも抱いて、軽やかに、楽しんで、好きなことをやって年をとっていきたいと思う。