人に会うのが面倒くさい

子どもを産んで育てて、7ヶ月経過して、7ヶ月は毎日が日曜日みたいな感じ。

さとさんの午前睡の時間が終わると、だいたい10時から11時。

どっか、外に出ようと思う。もしも出なかったら、このまま忙しく夕方のご飯の準備して、1日が終わってくんだろうなぁと思う。

さて、どこに行こう・・と思った時に、

 

児童館、子育て支援センターというのも候補にいつも上がる。

そこに行って、「何ヶ月ですか?」って声かけられて、「頭がふさふさですね」って言われて・・・って会話があるんだろうなぁ・・・なんてことを想像すると、「面倒くさい・・」と思って、児童館や子育て支援センターは「却下」となる。

児童館や子育て支援関連のお仕事をしてる人ごめんなさいー!

場の価値そのものを否定しているワケではありませんので・・。

 

 母になる以前からの自分は、どういう人間であったかってことだと思うんだけど、もともと、私は、一人で行動するのが好きで、表面上の会話が苦手な人なんだった。だから、知らない人に会って、誰にでも共通の話題となるような会話を続けることは疲れることなんだった。

 

改めて、私は一人が好きで、会話が苦手な人だったんだと、長いお休みを機にわかった。そんな会話をするなら、本を読んで、本の中の人と対話してたいと、思ってしまう・・。笑

だから、最近、知らない人に会うのが面倒くさい病・・。

 

んーどこに行こうって思って、あ、あれを買いに行こうとか適当に目的を見つけ、買いにいく、ご飯を食べる・・という過ごし方をするけど、消費することでは心は満たされないんだなぁと思う。こうやって行き場のない人たちがイオンに集まってるのかもね。

 

だから、

市民活動支援センターに行って、まこちゃんに会うとか、

地域資源長屋なかむらに行って、起業支援ネットの皆さんや、さとちゃんのばーばとなってくださる皆さまにさとさんを抱っこしてもらうとか、

カレーのさいさいに行って、店長と話すとか、

図書館に行って、司書さんとおしゃべりするとか、

大門の実家に行って、森ママ・お義父さんに会うとか、

自分のソーシャルキャピタルである場所に行って、そこにいる人に会って・・基本行動は一人という過ごし方をしている。そういえば、子どもを産む前もこうやっていつも過ごしていた・・自分の過ごし方ってのは変わらない。

 

どんな思いを抱いているか、どんなことを学んだか、興味があるか、違和感を持っているか・・ということを話せる場所や人。日々の暮らしや人生で、人に出会って、支援をしようなんて思わないけど、互いに支援されているような場や人が、私にとっての子育て支援の場なんだと思う。

 

赤ちゃんを育てるのに、24時間稼働はしていても(あ、最近は24時間も稼働してないか・・)、どこかに雇われているわけでもなく、1日はどう過ごそうか自由で、忙しいのに時間がたくさんある・・。

仕事をしていたら、仕事で出会う人々のコミュニティの中で日々は続き、毎日行く場所があり、毎日やることがある。なんて素晴らしいことなんだーもうお休みは終わっていい!と思っていたけど、今だから出会える人たちもいるから、それを大切にできたらいいな。