近くを見るために遠くを見る。

 
そういえば、子どもが生まれてもうすぐ5年なんだけど、子育てについての本というのは、数えるほどしか読んでいないなぁと思った。
 
多分、1冊とかそんなレベルで三木成夫の「内臓とこころ」しか思い浮かばない。
内臓とこころ」を読んだことで、子どもの発達の捉え方や排泄の自立への関わり方も学ぶことがあり、あれ1冊読んだらまぁいいかみたいな。(でも、あの1冊は一人で読むのは難しいんだけど)
 
子どもをどんな風に育てるといいとか、子育てと仕事をどう両立するとか、夫婦のパートナーシップというような具体的で、対象を限定している読みやすい本を読もうという気が全然湧かない。方法論的な本は、乳幼児の家庭の医学のような本1冊がうちにあるだけ。
赤ちゃんの頃の子育てとか、離乳食とかは、信頼できる専門家に聞いたりした。
子どもをどう捉えるかという人間観さえ持っていたら、情報はそんなにたくさんいらない。
情報過多社会での子育ては、妊娠期から、産後、子育てまで、情報収集しないと子どもは育てられないと駆り立てているようにも見える。
そんなにたくさんの情報は子育てにはいらないのではないかと思う。
 
子どもを育てると子どもを通して社会が見える。社会の方に不都合があることが見える。それはどうしてかと考える。
どんな歴史、どんな思想があって、今があるのかと考える。子どもと子育ての外側にある哲学とか思想の本を最近は読んでいて、鶴見俊輔吉本隆明とか、ハーバーマスとか興味あるが(←全部、読んでいないけど!)、一見子育てには関係ないように見える。
今立っている地点と過去、日常と社会は地続きなので、関係ないことはない。
 
ものすごい遠いところにありそうで、自分の日常にも、子育てにも関連している。近いところを見るために、ものすごい遠いところを見ている。
哲学や思想から社会を見ていたら、自分のライフステージが変わったときに、自分が獲得した知から抽象理解をして、物事を見られるだろう。汎用化できる知だと思う。
 
子育てしている当事者、子育て支援や保育や教育をしている人も、保育や子育てや教育や家庭とか福祉とか、その辺の領域しか、興味を持っていないことにも、なんだかなぁと思うこともあるなぁ。
 
全然違う視座を持つことが、それぞれの行き詰まった状況にブレイクスルーを生み出すと思うんだが。子育てしているからって子育てに興味があると思うなよって感じなんですよね。